チャルメラの音色に踊る食欲~街の「屋台ラーメン」は熱々の風物詩だった!
哀愁たっぷりのメロディーが窓の外から流れてくると、もうたまらない。住んでいる街に、夜な夜な「屋台ラーメン」がやって来た。懐かしい夜食の思い出である。
屋台ラーメンの歴史
「屋台ラーメン」は、その荷台に、ラーメンの食材、食器、コンロ、さらに料理に使ったり食器を洗ったりする水などを積んでやって来た。言わば、ラーメンの“移動販売店”である。もともとは、江戸時代にあった「夜鳴きそば」に由来すると言われている。明治時代に、海外から日本にラーメンという麺メニューが持ち込まれて、横浜など港町の屋台で提供されていたものが、移動式の店スタイルで登場した。「中華そば」と呼んだ方が、味にはしっくりきそうでもある。
独特な登場曲があった
何といっても、印象深いのはその“登場曲”である。屋台ラーメンといえば「チャルメラ」の音色。チャルメラはもともとは木管楽器だが、そのラッパのような笛から奏でられる「チャララ~ララ、チャラ、ララララ~」というメロディーは、一度でも聞いたら耳に残るのではないだろうか。この曲が流れると、屋台の登場だった。
屋台ラーメンの思い出
初めて屋台ラーメンを食べた昭和40年代は、すでに軽トラックだったが、それ以前の屋台は、リヤカーだったそうだ。やって来るのは、夕方ではなく、完全に日も落ちた午後9時すぎから夜半にかけての時間だった。夕食後に、少し小腹がすき始めた頃である。チャルメラの音色が近づいてくると、どこの街角にいるのか、町内を探しながら走った。
ひとつの“外食”だった
屋台には、その場で食べることができるように丼(どんぶり)も用意されていたが、自宅から自前の中華どんぶりを持っていき、そこに盛り付けてもらうことが多かった。茹で立て麺の上には、ネギ、メンマ、なると、チャーシュー、そして海苔。トッピングも定番だった。鍋を持って行って、麺と汁(つゆ)を別々に売ってもらい、家に戻ってしばらくしてから、温め直しで食べることもあった。特に寒い夜、屋台ラーメンの味はとにかく格別だった。今思うと、夕食後に再び“外食する”みたいなもので、とても贅沢でもあった。やがて、屋台には使い捨てのプラスチック容器が登場した。
即席めんにも「チャルメラ」
そんな屋台ラーメンにとっての大きな転機は、即席めんの登場だろう。1958年(昭和33年)に、日清食品が「チキンラーメン」を発売した。世界で初めて、お湯を注ぐだけで熱々のラーメンを食べることができる、画期的な食品だった。そんな、いわゆる“ライバル”という存在の中でも、明星食品は自社のインスタントラーメンに「チャルメラ」と名づけ、「屋台の味を再現した」と売り出し人気を集めた。それだけ、屋台ラーメンの味は庶民に浸透していたのだ。
カップめんの登場で・・・
1970年代になると、カップ麺が誕生した。常温で買い置きができて、いつでもどこでも“自分の時間に合わせて”手軽にラーメンを食べることができるようになった。さらに、しょうゆ味だけでなく、塩味、味噌味、カレー味と種類も豊富になった。そんな時代の波の中、屋台ラーメンの姿は少なくなっていった。今でも時おり駅の近くで、店開きしている屋台を見かけるが、街を移動しながらの提供はめっきり減ってしまった。
哀愁あふれるチャルメラのメロディーと、寒い冬に息をフーフーかけながら食べた熱々の屋台ラーメン。忘れられない昭和の味、懐かしき時代の風物詩だった。
【東西南北論説風(473) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。