キッチンでコンビニで、暮らしに欠かせない「電子レンジ」の便利さを生んだ開発史
便利である。私たちの周りには、今や数多くの電化製品があるが、「電子レンジ」の便利さ、そして、その機能の多彩さには、あらためて感嘆せざるを得ない。「レンジ(range)」とは英語で「かまど」という意味だが、米国で誕生した、この“電波のかまど”は、日本の開発技術によって、大いなる進化を遂げた。
それは偶然から生まれた
「電波によって料理を加熱する」方法は、20世紀半ばに米国で生まれた。メーカーの技師がレーダー装置の実験をしていた時に、ポケットの中に入れていた菓子のチョコバーが溶けていたことから、これをヒントに新しい調理器を発明した。「レーダーレンジ」と名づけて、1950年(昭和25年)に発売した。マイクロ波をあてることで、食品に含まれている水の分子を振動させたり回転させたりして、食品内部の温度を上げるという原理だった。
日本での開発スタート
米国で画期的な調理器が開発されたニュースは、日本にも届けられた。まず開発に乗り出したのは、芝浦製作所、現在の「東芝」だった。火を使うことなく、短い時間で食品を温めることができる新しい調理器を、「電子レンジ」と名づけて発売した。1961年(昭和36年)のことである。しかし、当時の値段で125万円と高価であり、電子レンジは、その3年後に開業した東海道新幹線の食堂車(ビュッフェ)で使われるなど、その多くは業務用だった。
「チン」という電子音
国内の家電メーカーは、競って開発を続けた。そして1965年(昭和40年)から、相次いで家庭用向けの電子レンジが発売された。翌年には食品を乗せた皿がレンジの中で回転して、まんべんなく加熱できる「ターンテーブル」式もお目見えした。その加熱が終わったことを知らせる音が登場したのは、1967年(昭和42年)だった。自転車のベルから「チン!」という音が使われた。この「チン」という音は、電子レンジの代名詞となった。電子レンジを使って料理を加熱することを、「チンする」と表現する人も多かった。動詞にまで使われるようになったのである。
“個食”の食生活と共に
家庭用の電子レンジの登場と時をほぼ同じくして、日本は高度成長期を迎えていた。同時に、核家族化も進むようになった。家族が揃って食卓を囲んで食事するという、そんな風景が次第に少なくなり始め、“作り置きした料理を、それぞれの時間に合わせて温めて食べる”ようになった。そんな“個食”の食生活スタイルに、電子レンジは本格的に役に立つ時代がやって来た。
ワンタッチで調理できる
1978年(昭和53年)には、扉の横に料理メニューの一覧表がタッチパネルで表示された。「ごはん」「目玉焼き」「スープ」など項目は多彩で、それを押すだけで自動的に加熱時間も設定された。さらにそれを進化させた商品は、料理カードをセットするだけで火加減を調整しながら料理を作る、1980年(昭和55年)登場の「カードクッキング」レンジだった。世界で初めて航空機にも搭載できる機種も日本で作られて、米国大統領の専用機エアフォースワンにも、日本製の電子レンジが使用されたという。
パンが焼ける機能も登場
それまで別々のものであった「電子レンジ」と「電気オーブン」を一体化させた「オーブンレンジ」によって、“温める”から“焼く”という機能が加わり、調理ができるようになった。1988年(昭和63年)には、オーブントースターと一体化して、パンを焼くベーカリー機能が付いた電子レンジも登場した。パン作りの「練り」「発酵」「焼き上げ」すべてを、電子レンジが自動的にやるようになった。1999年(平成11年)には、インターネットと結び、そこから取り込んだ料理メニューを、自動で調理する電子レンジもお目見えした。食品の分量や置いた場所を察知して、最適な加熱をする機能も開発された。電子レンジは“万能の調理器”として、暮らしの必需品となった。
「電子レンジはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、“いつでもホカホカに温められて”歴史の食卓に並べられている。
(2023.08.23)
【東西南北論説風(450) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。
(参考)一般社団法人「日本電機工業会」公式ホームページ内『電子レンジの歴史』