日本生まれ「串カツ」の美味しい魅力~なぜ串に刺したのか?その理由を探る
時おり無性に食べたくなる料理に「串カツ」がある。熱々の揚げたての串を手に持って、ソースに浸して口に運ぶ瞬間、その香ばしい香りがまず鼻に、そして間髪入れずにフライの衣が口に届く。そんな串カツの「はじめて物語」。その定義には肉だけなのか魚や野菜も加えるのか、またルーツは関西なのか関東なのか、諸説あることはご承知いただきたい。
「カツ」と言えば、もともとはフランスにあった「コートレット(cotelette)」という肉料理が発祥。薄切りにした肉に細かいパン粉をまぶして、フライパンで焼いたものだが、日本人の胃には少々重かった。そこで“焼くのではなく揚げた”ものが「とんかつ」。日本での人気メニューになった。そんなカツを小さくして“串に刺した”ことから、日本での「串カツ」の進化が始まった。
串カツのルーツについて諸説ある中で有力と見られるのが、大阪の浪速区で生まれたという説である。大正時代の末期から昭和の初めにかけて、この町の店が、串に刺した一口サイズの揚げ物を提供し始めたと伝えられる。安くて美味しいものが沢山食べられる町は、一日の仕事を終えた人たちでにぎわっていた。労働の後には「ボリュームたっぷりの料理を食べたい」。そんな思いに応えるためには“早さ”と“安さ”が大切な要素だった。登場したのは、いわゆる“立ち食いの店”。簡単に食べることができて、さらに客も長居をせずに入れ替わりも早い。考え出されたアイデアが“カツを串に刺すこと”だった。これなら“片手で気軽に”食べることができる。さらに客の回転も良いため効率的で、食材も安く提供できる。「串カツ」の誕生だった。支払いの際には、食べた量を“串の本数”で計算できるメリットもあった。
手間ひまかけず、経費もかけない。次なるアイデアは、二度づけ禁止の共有ソース、いわゆる「ドブづけソース」だった。串カツを1本1本、それぞれの皿に並べて提供し、ソースをかけて食べてもらうと時間がかかる。大きな容器にウスターソースをたっぷりと入れて、そこに串ごと浸してもらえば、別々の皿や個別のソースも不要になる。お店も余計な予算をかけなくていい。お店ではお酒を出すことも多かったので、片手に串カツ、もう片方の手にお酒のコップ。そうなると、カツにソースをつけるために、大きな容器に入ったソースは最適だった。ただし、人の唾液はソースを傷めること、さらに衛生面への配慮もあって、「二度づけ禁止」というルールが作られた。
日本での「串カツ」の姿は、実はひとつだけではない。大阪を中心とする関西では、小ぶりの肉を使う。ソースはウスターソースで、一緒に出されるキャベツは角切り。関東では、肉は関西よりも大きめで3センチほど。特徴的なのは、肉の間にタマネギや長ネギなどを交互に刺して揚げること。ソースはとろみのあるとんかつソースで、キャベツは千切り。そんな東西の「串カツ」文化が両方あるのが、名古屋などの中部圏である。そんな名古屋にはユニークな串カツがある。「味噌串カツ」と呼ばれるもので、名物の味噌ソースをかけたり、味噌に浸したりして食べる。モツなどを赤味噌で煮込んだ「どて煮」を提供する店では、串カツをその味噌につけて食べるというユニークな味も存在する。「串カツ」は、日本全国津々浦々で、様々な味によって、人々の食欲を満足させている。
熱々の串カツを片手に持って頬張る瞬間、人は誰しも生きている喜びを感じるのではないだろうか。「串カツはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、“香ばしい揚げたての香りと共に”刻まれている。
【東西南北論説風(382) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。