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「宝くじ」の魅力とは?江戸時代からスマホ購入まで400年の歴史を探訪

「宝くじ」の魅力とは?江戸時代からスマホ購入まで400年の歴史を探訪
CBCテレビ:画像『写真AC』より「宝くじ」

人は“運だめし”が好きな生き物なのだろう。くじに託して、まだ見ぬ将来と自らの運を占う。「宝くじ」の起源は、古代ローマ時代の紀元前にさかのぼる。かの有名な将軍シーザーも、宮殿などの建設費を調達するために、くじを活用したと伝えられる。中世ヨーロッパではますます大衆化して、多くの国々へ広まっていった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「箕面山瀧安寺」

日本における「宝くじ」は記録に残っているものとしては、江戸時代の初め、1624年からの寛永年間にあったと言われる。寺や神社での「おみくじ」は自然発生的に存在したと思われるが、現在の大阪府と兵庫県に位置する“摂津の国”の箕面山瀧安寺が、正月の元旦から7日までに参拝した人に、木の札を渡して名前を書いてもらった。これを箱に入れて、最終日に寺の僧が箱の中を錐(きり)で3回突く。取り出した札に名前のあった3人を「当選」として、福のあるお守りを授けた。これが起源と言われている。

くじは町に広まっていった。当初の「お守り」に代わって、当たりとして「賞金」が登場したのも世の流れだった。「富くじ」と呼ばれるようになった。江戸の町でも上方でも「富くじ」は人気を集め、落語の演目にも登場した。しかし、徳川五代将軍である綱吉の元禄時代に、「富くじ禁止令」が発布された。くじに夢中になってしまい、生活や風紀に乱れが出るというのが理由だった。それでも、修繕費用が必要だろうと寺にだけは「富くじ」が許された。しかし幕末の1842年、老中・水野忠邦による天保の改革で財政再建と物価の統制が進められた中、ついに「富くじ」は一切禁止された。それが復活するのは100年以上たった昭和の時代だった。

太平洋戦争の末期、1945年(昭和20年)、政府は戦費を調達するために、1枚10円、1等賞金10万円という「くじ」名づけて「勝ち札」を売り出した。当時の10万円は現在では2000万円ほどの価値がある。記念すべき最初の抽選日が8月25日だったが、それを待たずして8月15日に戦争は終わってしまったため、「負け札」と呼ばれて揶揄されたという。終戦から2か月後には、戦後のインフレ防止のために、新たな「くじ」が発売された。その時につけられた名前が今日に通じる「宝くじ」だった。戦争で焼け野原になった全国各地の復興のため、「宝くじ」は地方自治体が独自に発行することも認められた。その第1号は福井県、地名に「福」という漢字が入り縁起もいい。くじの別名は「ふくふく」と呼ばれた。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「宝くじ売り場」

賞金の額も増えていった。1965年には1等賞金700万円、さらに翌年には1000万円、この頃から宝くじ売り場には、夢を買い求める人たちが、行列を作るようになった。1974年には、サマージャンボ宝くじが登場して賞金も“ジャンボ”になっていく。1989年には、1等と前後賞合わせての賞金が初めて1億円になり、2022年のサマージャンボでは同じく7億円となった。当選したことをうっかり見逃してしまう人もいるため、手元のくじに「最終確認の機会を」と、毎年9月2日が語呂合わせで「宝くじの日」に決められている。

現在は、インターネットを使ってパソコンやスマートフォンで簡単に宝くじを買えるようになった。24時間購入できて、現金を使わないカード決済。さらに「自動継続購入サービス」もあり、買い忘れることもなくなった。むしろ買い過ぎてしまうかもしれない。長引くコロナ禍でも、「宝くじ」はSNSと共に日本で新たな時代を歩んでいる。

運だめしという、古今東西、人間誰しもが心に持つ願いを、巧みにすくい上げていく「宝くじ」。「宝くじはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“大当たりをめざすささやかな夢に包まれながら”刻まれている。

【東西南北論説風(371)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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