ドラゴンズ沖縄キャンプでの厚い壁そして人間・落合博満選手の真心(16)
中日ドラゴンズにトレード移籍してきた落合博満選手の密着取材、もちろん1987年(昭和62年)2月からの沖縄キャンプにも同行した。ただ、我々の取材チームがほしかったのは、ユニホームを着てグランドにいて、どの取材カメラでも撮影できるという落合選手の姿ではなく、普段は誰にも見せない場面だった。
だからキャンプインではなく、数日遅れてキャンプ地入りしたのだが、1月31日のキャンプ地への出発風景は見送りと同時に何か撮れないかと、名古屋空港(現・愛知県営名古屋空港)へ出かけた。
大フィーバーの空港で何が?
星野仙一監督率いる新生ドラゴンズの注目度は高く、空港には大勢の報道陣が集まって監督、コーチ、選手を追いかけていた。その中心は星野監督と落合選手だった。
落合選手が空港に到着すると沢山のカメラが殺到、私は突き飛ばされてバランスを崩し、近くにしゃがんでいた男性の背中に尻餅をつく形になった。
「バカヤロー!誰じゃ」
その年配の男性が怒号。少し離れたところにいた仲間らしき若い男たちが次々と駆けつけてきて“失礼なことをした男”を探し始める。一目散に人混みを縫って逃げた。
翌日の中日スポーツで「落合フィーバーの1コマ」としてその場面のことが面白おかしく記事になっていた。
電話魔である落合選手
そんな騒ぎをすっと離れた落合選手が向かった先は、空港の壁際にならぶ公衆電話。
携帯電話などもちろんなく、まだテレホンカードも普及途中だった頃のこと。
落合選手は手のひらに10円玉をチャラチャラさせながら、受話器で話を始めていた。相手は自宅にいる信子夫人だった。落合選手はいわゆる“電話魔”で、この頃、ひとつの行動を起こす度に、夫人と話す習慣があったのである。カメラはその風景を捕えたのだった。
しかし、キャンプの抱負などインタビューをする時間はまったくなかった。
密着取材の壁はますます厚く
沖縄では選手たちと同じ宿舎である恩納村のリゾートホテルに宿泊して、早朝の散歩から練習までついて回った。しかし、「普段は誰にも見せない姿」と言うものは、文字通り「見せない」もの。たとえば、午前0時をまわる頃、ホテルの窓が少し開いていて、そこから垣間見られるのは上半身裸で人知れずバットを振る落合選手・・・なんて風景が取材できれば最高だったのだが、それは私の想像の世界での話。
取材期間で唯一、それに見合うシーンが撮影できたのは、練習後にひとりプールで行う水中歩行トレーニングに最中だった。プールサイドに来ていた地元の男の子たちがサインを求め、落合選手は半身を水につけたままで気軽に応じていた。
「おじさん、歌も歌うんだぞ」と前年に出したレコードのことを、子供たちに話していた。そんなところに、普段は見えない人間性がにじみ出ていた。
しかし、ここでもインタビューはかなわなかった。カメラのスイッチを叩き切られるチャンスすら、なかなか来なかった。
礼節を重んじる落合家ルール
人間性と言えば、一連の取材を通して私が今も印象に残っている落合夫妻の姿がある。
取材などで自宅にお邪魔した後、我々が帰る際には必ず夫婦そろって、門の外まで見送りに出て来てくれたのだった。
落合選手は
「早く帰れ!オレに風邪引かせたくなかったら早く帰れ!」
こう言いながら、真冬の夜でも門の外まで来てくれた。それが来客であれ取材者であれ落合家の流儀なのだと言う。バックミラーで確認すると、二人の見送りの姿は車が角を曲がるまで続いていた。
この落合家の見送りルールについては、私は取材の成果を放送した『報道特集』に
スタジオ生出演した際にも紹介したし、多くの人に伝えている。落合夫妻の人間性が最もわかりやすく表れている話だと思うからだ。
信子夫人の真実とは?
ご主人のガードは固かったが、信子夫人は私にいろんな話をしてくれた。
当時、信子夫人は“悪妻”と呼ばれていた。『悪妻だから夫は伸びる』という自らの著書、そのタイトルがきっかけだった。
こんな声があった。
「落合の奥さんはいいよなあ。旦那が1億もらっているから昼寝ばかりしているそうじゃないか」。
しかし実際は違っていた。プロ野球選手によっては、ナイターが終わって帰宅すると、発汗作用によって、寝汗をかくという。落合選手も寝汗をかくため、風邪を引いて身体が冷えないように、信子夫人は夫が気づかないように目覚まし時計をかけて起きた上で、濡れたパジャマを何度も着替えさせるそうだ。
だから熟睡できないため、昼間ウトウトしていることを「昼寝ばかり」と言われたそうだ。やはり話を聞いてみないと真実はわからない。
引っ越しで目撃したこと
1987年3月、東京からトラック2台分の家財道具が運びこまれる本格的な引っ越しも、“落合家庭番”として手伝った。
リビングに運び込まれた大きなサイドボード、しかし、中に入れるものが見当たらない。
「何が入っていたのですか?」
問いかける私に、信子夫人はこう笑った。
「東京では、この中に、ホームラン王とか首位打者とかベストナインとか、落合さんが取ったトロフィーや盾が並べてあったの。でも今回、全部置いて空っぽで来ました。これから名古屋で活躍して、全部埋めてもらいます」
本当にすごい夫婦だと感動した。しかし、密着取材はまだ始まったばかりだった。(1987年)
※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。