ドラゴンズ落合打法の秘密は?三冠王バットを科学的に解析(17)
中日ドラゴンズのキャンプ地である沖縄県石川市(現うるま市)、そして当時二次キャンプが行われていた宮崎県串間市と、落合博満選手を追いかけての取材が続いた。
しかし、三冠男の壁は高く、その打撃の秘密を解明する手がかりも、そして本音を語るインタビューもなかなか取れていなかった。
落合選手の周りにはいつも大勢の報道陣がいたこともあるが、その壁は日に日に高く大きくなものとして実感せざるをえなかった。
バット名人のもとへ
そんな時、一緒に取材チームを組んでいた先輩カメラマンが提案してくれた。
「昔からよくある手かもしれないけれど、本人ではなく周囲、例えばバットの取材をしたらどうだろう?何かヒントが見つかるかもしれない」
早速、美津濃スポーツ養老工場(当時)に連絡した。そこには、久保田五十一さんという有名な“バット名人”がいる。落合選手の他、セ・リーグで同じく三冠王を取った阪神タイガースのランディ・バース選手をはじめ、過去にはドラゴンズ谷沢健一選手、広島東洋カープの衣笠祥雄選手、そしてメジャーで野茂英雄投手の女房役であるピアザ捕手らのバットを手がける稀代のバット職人、久保田さん。ワラをもすがる思いというか、ワラよりずいぶん太いバットにすがる思いだった。しかし、それは頼りになる太い“ワラ”だった。
落合バットとの劇的な出会い
養老工場に向かう道の両側には広大な田んぼが広がり、横を流れる小川は早春の日差しで水面がキラキラと光っていた。そこで私たちは、1本のバットと出会った。
そのバットは、前年落合選手が三冠王を取ったバットであり、新しいバット製造のモデルとして久保田さんの手元に届けられていた。久保田さんには落合選手のバットの特長や注文などを聴くつもりだったが、久保田さんはバットを手に「落合さんはバットを折らない選手なんですよ」と語り始める。そして・・・
「落合さんはすごい」
「何がすごいのですか?」
すると久保田さんはバットを手のひらで撫でながらこう言った。
「ボールを当てた跡が一点にしぼられている。そしてその一点と言うのが、木目の堅さから最もボールがよく飛ぶスウィートスポット(打芯)なのです。落合選手は、そのポイントを知っていて、そこにすべてのボールを当てている」
「・・・」
ゾクゾクした。それは取材者としてももちろんだが、長年のプロ野球ファンとしても興奮する話だった。
恐るべし落合打法の証し
久保田さんが続ける。
「撫でてみると、その幅は3~4センチぐらいでしょうか?同じように三冠王を取ったバース選手もすごいのですが、こちらは9センチぐらいに少し散らばっている」
そして、久保田さんは、のちになってイチロー選手や松井秀喜選手のバットを手がける中ですっかり知られることになるエピソードを話してくれた。
久保田さんが削ったバットのグリップ近くを握り、ある選手が言ったそうだ。
「久保田さん、少し太いよ」
そんなはずはない。ちゃんとノギスで測っている。しかし、念のためもう一度測り直したら、最初のノギスが微妙にズレていたのだった。その差はわずか0.1ミリ。
それを指摘した選手は広島東洋カープの衣笠選手だった。
もうひとり、落合選手からも同じような指摘を受けたそうで、バットを手で握っただけで瞬時にそれがわかる感覚の持ち主ということだ。
プロ野球の世界でのこうした名人の話に、ファンの立場だけで感激しているわけにはいかない。バットに残された落合選手の打撃の秘密・・・久保田名人が撫でてわかるそのボール跡をどう証明するのか?テレビの映像としてどう表現するのか?落合選手に代わって、バットに語らせることができるのか?
私は早春の養老でとんでもない宿題を課せられたのだった。
バットの秘密解明の壁
落合選手のバットの秘密。その実証に向けて最初に相談したのは、名古屋市熱田区にある名古屋工業研究所だった。研究所の担当者は表面の凹凸を精密機械でなぞる実験を約束してくれ、「1週間の時間がほしい」とにこやかに対応してくれた。期待が膨らんだ。
長い1週間がたち、私は再び研究所を訪ねた。実験室に入った私を待っていたのは、床1面に並べられた大きな紙とその上に書かれた1本の線だった。
「残念ながらバットは大きすぎました。目に見えるような変化はほとんど線としては描けませんでした。もう少し小さいものなら可能でしたが・・・」
大きさからして、やはり無理だったか・・・。
しかし、肩を落としていただろう私に、研究所の担当官はこう告げた。
「証明したい狙いはよくわかります。ひょっとしたら、成功する施設があるかもしれない」
それが埼玉県大宮市(現さいたま市)にある冨士写真光機(当時)だった。さらに先方に問い合わせまでして下さり、「バットを持ち込んで下さい。お待ちしています」というアポイントまで取って下さった。研究者の胸に何かが響いてくれたのか・・・。
落合バットと共に埼玉県へ
野球の神様か取材の神様か、運命の糸に導かれるように、私は埼玉県大宮市へ向かった。2本のバット、1本は前年三冠王を取ったバット、そしてもう1本は未使用の落合モデルバット。その2本を大切に抱えながら。
生まれて初めての埼玉県。新宿駅から電車に揺られながら、大宮市に着いた。
訪ねる先は、冨士写真光機の光学研究室。名古屋市工業研究所の担当官からの紹介電話に続き、取材の狙いは直接電話で話してあったので、すぐに研究室に通されて、実証実験が始まった。
実験はモアレ・トポグラフィー(等高線写真)という手法を使った、2つの違う方向から光線を当てて、物の凹凸を浮かび上がらせるという。研究室の担当部長が、自らの顔をモアレ・トポグラフィーで撮影した写真を見せて下さるが、平面に見える額部分にもはっきりと等高線が浮かび上がっていた。これはいけるかもしれない。
ボールを1点でとらえていた!
モアレ・トポグラフィーの機械に2本のバットをセットする。右側は前年に使用したバット、左側は削りたての未使用バット。部屋の電灯が消されて、機械のスイッチが入ると、闇の中で光の当たった2本のバットが浮かび上がる。
すると、バットの表面に木目とは違った縞模様が浮かび上がった。これが等高線なのだ。2本のバットにほぼ同じような縞模様。ところが、右のバットの一部分だけ、等高線が「く」の字型に曲がっている部分がある。
「少し回してみましょうか?」
研究員の男性がこう言って、右のバットをゆっくりゆっくり回し始める。するとバットのほとんどの部分はきれいな等高線なのだが、回転と共に1ヶ所だけ明らかに「く」の字が表れた。これがボールの跡なのだ。真っ暗な部屋の中に、驚嘆のため息が漏れる。
「どれくらいの大きさでしょうか?」
「バット全体からすればほんの少し。そうですね、2、3センチでしょうか」
担当部長の声にも力がこもっている。落合選手は、バットのスウィートスポット(打芯)わすか2~3センチですべてのボールをとらえていたのだった。その落合打法がついに科学的に証明された瞬間だった。(1987年)
※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。