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三冠男・落合博満選手ドラゴンズ入団でファンから番記者に転身?(14)

三冠男・落合博満選手ドラゴンズ入団でファンから番記者に転身?(14)

ドラゴンズファンの自分に“異変”が生じたのは1987年(昭和62年)、当時私は27歳だった。
その前年、1986年の中日ドラゴンズは散々なシーズンだった。3年目を迎えた山内体制だったが、開幕4連勝の好調もつかの間、特に自慢の打線が不調で、山内監督は
7月に入ると成績不振により休養、高木守道さんが監督代行となる。結果5位だった。

燃える男・星野仙一監督誕生

そしてその秋には待望久しかった“燃える男”が名古屋に帰ってきた。
誕生した星野仙一監督は、39歳の青年監督らしく、記者会見で選手たちへのメッセージを質問されて、「覚悟しとけよ」と答えた。
ドラゴンズファンとして実に頼もしく、この一言に拍手喝采だったが、まさかその後、自分自身が“覚悟”の日々を送ることになろうとは・・・。

落合選手が巨人入り?

ドラフト会議で、5球団競合の末に地元・享栄高校の左腕・近藤真一投手を引き当ててガッツポーズした星野新監督。チーム戦力の補強はこれで終わるはずはなかった。
そんな頃、ロッテ・オリオンズの落合博満選手がチームを出るのでは、という報道が出始めた。言わずと知れた、その年の三冠王。その年どころか2年連続、そして通算3回目の三冠王。しかし、ロッテも稲尾和久監督が交代する節目を向かえ、主砲がチームを離れる話が出ていたのだった。行き先は読売ジャイアンツ。これで巨人はますます強くなってしまうと、ファンとしては気が気ではなかったが、そこに手を挙げたのが星野新監督だった。ドラゴンズが三冠王・落合を取りに行くと聞いた時は、正直「まじか?」という気持ちだった。

落合入団そして牛島投手との別れ

街がクリスマスムードに染まった12月23日、ドラゴンズとオリオンズの両球団は
落合選手に関わる大型トレードを発表した。2年連続の三冠王を獲得するのだから、トレードの相手としてはそれ相応の見返りを求められる。主に投手を中心に名前が挙がった中、結果は、抑えのエース・牛島和彦投手、ガッツあるプレイが人気の上川誠二選手ら4人と落合選手1人、4対1のトレードはドラゴンズファンの目にも“特殊”、異例中の異例と映った。兄貴分・星野新監督の誕生で、気合いが入っていたであろう牛島投手のショックは激しく、トレードに対して即答を避けた。そしてロッテ入りを受け入れたのがクリスマス、12月25日だった。

ファンから“落合番記者”へ

激動の年が終わり、新しい年が明けた。私は愛知県警そして司法担当記者として丸4年を迎えようとしていた。そんな1月・・・私は報道部長から呼ばれた。
落合選手のドラゴンズ入団に向けて、スポーツ部とは別に、報道部としても担当記者を置くことになったと言う。そして、その“落合番”に指名されたのである。
報道部長いわく・・・
「三冠男・落合選手の地元ドラゴンズへの入団は、もはやスポーツだけのテーマではない。これは社会現象である」
ユニホームを着たグランドでの取材はスポーツ部にまかせておき、人間・落合博満を取材しろということだった。具体的な目標として、4月の開幕に合わせた全国ネット番組『JNN報道特集』で、「落合の人間像を描くこと」と「打撃術を解明すること」がミッションだった。

これまでもニュース取材でドラゴンズと関わってきたが、今回は関わり方が違う。
ドラゴンズファンの自分も大きな転機を迎えることになった。純粋にドラゴンズを応援したいというファンとしての気持ちを持ちながらも、取材記者としての立場で接する、まさに、ファンとしては“異常事態”を迎えることになった。(1986~1987年)

【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】
※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。

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