東京五輪めざす中日ドラゴンズ元助っ人~わずか1年だけの外国人選手列伝~
東京五輪の開幕まで2年、あの「ディンゴ」がオーストラリアの野球代表チーム監督に就任しオリンピックをめざすというニュースが届いた。
「ディンゴ」とはオーストラリアに生息するイヌの名前で、デービッド・ニルソン氏のニックネームである。ディンゴ選手は米メジャーリーグで活躍した外野手兼捕手であり、野茂英雄投手ともバッテリーを組んだことがある。
2000年(平成12年)に中日ドラゴンズに入団した。その入団決定は地元スポーツ紙の一面で報じられ、そこにはニックネームの由来となった犬「ディンゴ」の写真も掲載された。
メジャー捕手の入団は珍しく、ドラゴンズファンの期待を一身に受けたが、出場わずか18試合、本塁打1本、8打点、11安打で打率.180の成績でシーズン途中に退団した。
日本のプロ野球には毎年、大勢の外国人“助っ人”がやって来る。
現在、横浜DeNAベイスターズを率いるアレックス・ラミレス監督のように、長く選手として活躍した後にチームの指揮官にまで登りつめた人材もいる一方、わずか1年で日本を去る選手も少なくない。
あの「ディンゴ」がオーストラリアの代表チーム監督になり今度は指導者として日本にやって来るかもしれないという外電に接しながら、1年だけ名古屋の地でプレーした元ドラゴンズ外国人選手たちに思いをはせた。
まず思い浮かんだのは、1990年(平成2年)のバンス・ロー選手である。
シカゴのホワイトソックスやカブスで大活躍、父親もメジャー選手だったことから「親子メジャー」としても注目された内野手で、ドラゴンズでの背番号は「2」。グラウンドでのプレー姿はひとことで言うと「品格がある選手」という印象だ。
本塁打29本、78打点、打率.313は1年目の助っ人としては立派な成績だが、シーズンの終わりと共に退団した。当時の星野監督体制での厳しすぎる選手指導が合わなかったことが理由とも一部で報じられたが、ファンとしては残念な思いだった。
このバンス・ロー選手と同じ年にドラゴンズにやって来たのがベニー・デスティファーノ選手。血気盛んな選手で、実はゲームでの活躍以上にグラウンドの別の部分での活躍シーンが印象的だった。
何といっても、オープン戦で死球に怒り乱闘、退場処分になっている。公式戦では初打席初ホームランという強烈なデビューだったが、5月24日ナゴヤ球場での讀賣ジャイアンツ戦で再び乱闘騒ぎを起こした。この時に故・星野監督がジャイアンツの水野雄仁投手に平手打ちをするシーンは「闘将・星野仙一」をふり返るシーンで度々紹介される。
5本塁打、14打点、打率.215という成績では1年でチームを去ることもやむを得なかった。しかし、その後もナゴヤドームのスタンドで「デスティファーノ」と書かれた背番号「30」のユニホームを着て1塁側スタンドで応援するファンの姿を見かけた。その意味ではドラゴンズファンの心に刺さる選手だったのかもしれない。
歴代外国人助っ人を経て今年2018年は?
ドラゴンズは82年の歴史を持つ伝統ある球団だが、その最初の年、1936年(昭和11年)にチームに在籍した外国人選手、ハーバート・ノース投手とバッキー・ハリス捕手も1年で去っている。しかし、ノース投手はドラゴンズにとって記念すべき1勝目をあげた投手として、球団史に名前を刻まれている。
この他、大相撲の人気力士だった高見山関の従兄弟として知られたハワイ出身のフレッド・クハウルア投手や、「ドラゴンズ史上最強の助っ人」と鳴り物入りで入団しながらもホームランわずか1本だけだったチャーリー・スパイクス外野手も印象に残っている。
そして、ドラゴンズ在籍1年にもかかわらず、強烈な印象を残したのがウィリー・デービス選手だ。
1977年(昭和52年)ドラゴンズに入団した時はすでに37歳という年齢だった。しかしロサンゼルス・ドジャースを中心にメジャーで積み上げた安打は2500本を超えていたこの現役大リーガーは、開幕戦でポテンヒットを足でツーベースにした上にタッチアップで2塁からホームインするという鮮烈なデビューを飾った。
そして今もドラゴンズファンの間で語り継がれる伝説のゲーム、5月14日ナゴヤ球場でのジャイアンツ戦。二死満塁から西本聖投手から放った打球はライナーでライトを襲う。ボールが転々とする中、デービス選手はあっという間にグラウンドを回りホームイン!特に3塁ベースを駆け抜けた後の歩数の少なさはファンの間でも「5歩いや7歩」などと今も語り継がれている。実際の記録映像から計測すると12歩なのだが、27メートル余りの塁間をそれで駆け抜けたのだから、与えた印象は強烈すぎた。翌日の中日スポーツ1面の大見出し「風か魔かデービス」。
残念ながら72試合、本塁打25本、63打点、打率.306の時点で守備の際に手首を骨折しシーズンオフに退団。翌年はクラウンライター・ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)でシーズン通して活躍したものの秋に日本を去った。2010年に63歳で逝去、わずか1年でチームとドラゴンズファンにこれほどのインパクトを与えた助っ人はいない。
2018年シーズンも、ドラゴンズに新たに外国人選手が加わった。
ディロン・ジー投手は故障のため現在アメリカに帰国中だが、ソイロ・アルモンテ外野手とオネルキ・ガルシア投手はここまで期待以上の活躍している。スティーブン・モヤ外野手も将来の活躍が楽しみなスイッチヒッターだ。
残念ながらアルモンテ、モヤ両選手共に手を負傷してしまった。昨季のセ・リーグ本塁打王は年俸交渉の結果、わずか1年で他球団へ移籍していったが、両選手にはケガを治して、好調のガルシア投手と共に来季も引き続き名古屋の地で活躍してほしいと願うファンも多いことだろう。
【東西南北論説風(54) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】