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なぜ名古屋の放送局・CBCがビートルズ日本公演を開催できたのか?

なぜ名古屋の放送局・CBCがビートルズ日本公演を開催できたのか?

1966年6月29日水曜日、午前3時39分、ビートルズが乗った日航機が羽田空港31番スポットに到着。日本中がビートルズ一色に染まった5日間の始まりでした。ビートルズ日本公演から60年。6月28日のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』では、CBCラジオ・ビートルズ・デー特別企画を放送しました。「1966年、ビートルズ武道館公演を実現したCBCの知られざる役割」と題して、ゲストコメンテーターにCBC論説室の後藤克幸特別解説委員が、ビートルズ最初で最後の来日公演の舞台裏を語りました。

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テレビで見た

小堀「CBCでビートルズと言えばこの方です。CBC論説室の後藤克幸特別解説員です」

後藤「レット・イット・ビー。自然体で生きるが座右の銘、後藤です」

後藤委員はビートルズのニュースコラムの執筆や著書の出版、ビートルズに関しての講演会、展示イベントなども開催する筋金入りのビートルズ研究家。
ビートルズが来日した時、後藤委員は小学校の低学年だったそうです。当時は白黒テレビ。

母親が「今日はビートルズの公演だよ」と、朝から番組を待っていて、始まると「ビートルズはすごいんだよ」と必死で見ていたんだとか。

後藤「その傍らで見ていた僕も『なんかビートルズってすごそうだな』と思った記憶があります」

ちなみに小堀は高校1年生。北海道帯広市からは見に行くことができず、バンド仲間と見ていたとのこと。

小堀「ひとりで家で見てもいいんだけど、やっぱバンド仲間でみんなで見る。ここが大事でした」

異例のセットリスト

ビートルズは、日本武道館で計5回の公演を行ないました。この来日公演でビートルズが演奏したのは全11曲。

ビートルズの世界ツアーでは、どの国どの会場でも同じセットリストだそうです。
来日した時のリストはこの全11曲。

ロックン・ロール・ミュージック
シーズ・ア・ウーマン
イフ・アイ・ニーデッド・サムワン 日本語タイトルは「恋をするなら」
デイ・トリッパー
ベイビーズ・イン・ブラック
アイ・フィール・ファイン
イエスタデイ
アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
ノーウェアマン 日本語タイトルは「ひとりぼっちのあいつ」
ペーパーバック・ライター
アイム・ダウン

後藤「『イエスタデイ』を東京公演でやってくれてるんですよね。これは異色のセットリストでしたよね」

小堀「新曲です。みんな、馴染みがないから、何だこれ?って僕ら思いましたね」

CBCが主催者

後藤「実は名古屋の私たちのCBC中部日本放送が、ビートルズ日本公演の実現には主催者として一番重要なポジションだったんですよ」

小堀「ビートルズのコンサートが開催されたのは東京だけです。なぜ名古屋の放送局であるCBCが東京、日本武道館のビートルズ公演に関わったのか?」

CBCは1951年9月1日に日本で初めての民間放送局としてラジオ放送を開始。ビートルズ公演のあった1966年は15周年を迎える節目でした。
その年にビッグなイベントを打ちたいという空気が社内にはあったそうです。その時、世界で大旋風を巻き起こしていたのがビートルズ。

CBCがビートルズ来日にどう関わっていたのか、「事業部の大先輩から聞いた話」として語り始める後藤委員。

どこも尻込みした

後藤「海外アーティストを日本に招聘するプロモーターをしていた協同企画(現・キョードー東京)の永島達司さんがビートルズがフィリピンでコンサートをやるらしいという情報を掴んでいたんですね」

協同企画の永島さんはビートルズサイドに、フィリピンまで来るんだったら、もう少し東へ足を延ばして、マーケット的にも大きい東京で公演をして欲しいという交渉の最中だったそうです。

後藤「そこで『CBCさん、一緒に組まないか?』というお誘いがあったと聞いています」

プロモーターとしては、新聞社、東京の放送局など様々なメディアに声をかけたそうです。

当時、ビッグなビートルズのギャラを支払うための外貨(ドル)をしっかり持っている会社は非常に少なく、どこも尻込みをしたとか。

当時は1ドル360円の時代。日本円を外貨に交換するだけでも手続きと許可が大変だった時代だったのです。

CBCには実績があった

後藤さん曰く、プロモーター側から「おたくなら日ごろから大きなミュージシャンを呼んでるし、外貨の準備も余裕があるんじゃないの?ぜひ一緒にやろう」ということになったそうです。

実はCBCは地方局ながら、他の民放局に先駆けて、海外アーティストの大規模公演を次々とやっていた実績があるそうです。

後藤「63年、ドイツのベルリン・ドイツオペラ。65年にはイタリア歌劇団オペラの公演などもして芸術文化事業の分野ではCBCは一目置かれる存在だったそうです」

小堀も事業部の諸先輩から聞いた話として、クラシック分野だけではなくポピュラー・ミュージックでもビッグネームを数々呼んでいたそうです。
その例を挙げるとコニー・フランシス。ミッチ・ミラー合唱団。マンボの王様ペレス・プラード。ジャズのナット・キング・コールなど。

小堀「CBC事業部には、海外公演の関係者と接点を持つ佐久間さんという人物がいた。いかに乾いたショービジネスの世界でも、最後は人間的な信頼関係が大きいんですね」

ビートルズサイドの要望

交渉に向かっていたプロモーターの永島さんは、ビートルズのマネージャーサイドからいくつかの条件を聞いていたそうです。

ビートルズサイドの要望は、たくさんの若い人たちに聞いてもらいたいので1枚のチケットの単価をなるべく安くすることと多くの人が入れる会場にすること。

ビートルズのギャラを割り算して、若者でも買えるチケット代となると1万人規模の会場が必要となったそうです。

ドーム球場がない時代。雨天でもできる大規模会場として白羽の矢が立ったのが、2年前の東京オリンピックのために竣工したばかりの日本武道館。

けしからん

小堀「よく武道館が押さえられましたね」

後藤「CBCの先輩方は武道館を管理している読売新聞社の首脳に頭を下げて、ビッグネームのビートルズが公演できる場所はここしかないとお願いをしたらしいです」

しかし、当時は日本の武道の殿堂でロックバンドのコンサートってどうよ?という雰囲気が強くあったそうです。

小堀「ビートルズへの大人たちの感覚は、髪を長くしてうるさい音楽をする“あんなやつら”呼ばわりでしたからね」

テレビでも「武道館を使わせるなんてけしからん」という発言が多く飛び交っていたとか。

女王陛下の音楽使節

頭を悩ませていたCBCに、読売新聞社の首脳はビジネスとして成功させようと、公演の開催に寄り添ってくれたそうです。

ビートルズは単なるロックバンドではなく、イギリスでは女王陛下から勲章を授かっているロイヤル・ロックバンド。

国家的音楽使節として来日するという言い方で、日本の世論をなんとか沈静化しようとしたそうです。

後藤「これでチケットは1枚あたりにすると2,000円台。若い人たちが買える値段に抑えることが可能になった。ビートルズの優しさも感じられますね」

東京のみは必然だった

せっかくCBCが主催するので1回ぐらいは名古屋でも、と交渉したそうですが、そもそも当時の名古屋では武道館並みの大きな会場がありませんでした。

さらに新幹線移動の警備上の問題があったそうです。東京ではファンが殺到するため、ビートルズの4人はホテルで軟禁状態でした。
そんなわけで必然的に東京公演だけになったそうです。

小堀「今や海外アーティストにも、武道館でやったことを足がかりに大きくなっていったバンドはいっぱいありますもんね」

後藤「武道館がライブの聖地として憧れの存在になっていくきっかけが、1966年のビートルズ、武道館ライブだったんですね」
(尾関)
 

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