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豊臣秀吉が築いた「石垣山一夜城」の真相

豊臣秀吉が築いた「石垣山一夜城」の真相

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。6月27日の放送では、織田信長・前田利家・陣笠隊の足軽・なつの3名が出演し、豊臣秀吉が築いた「石垣山一夜城」(石垣山城)について話題にしました。

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石垣山一夜城が完成した日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある話題の中で取り上げたのは、1590年6月26日に「石垣山一夜城が完成した件」について。

織田信長「また一夜城とな。あいつじゃな?」

前田利家「はい、かの者にござりまする」

この出来事は、織田信長が本能寺で斃れた後の出来事。
石垣山城は、豊臣秀吉が天下取りの総仕上げのために、最大の敵であった小田原の北条氏を倒すために作ったいわゆる「一夜城」です。

一夜城といえば、まだ若き信長が美濃攻めをしていた頃、当時は木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と名乗っていた時代にがわずか数日で築いたと伝わる、もう一つの有名な「墨俣城」もあります。
ただ前田利家に言わせると「真の一夜城はこの石垣山一夜城のこと」だとか。

城が突然現れたからくり

簡易な砦ならまだしも、城を一晩で城を築くのは常識的に無理ですが、前田利家曰く「一夜で築かれたように見えたから、一夜城と呼ばれている」と言います。

なつ「実際には、一夜ではないと?」

利家「それは現実的にはな。実際どうしたのかと言うと、この石垣山一夜城が築かれたのは北条氏の本陣、小田原城の近くの山の上だったんじゃ。まずは普通に城を築く。城が出来上がったら、整地すなわち周囲の木を伐採してな。

周囲からしたら木々が茂る単なる山だったはずが、突然城が出現するというやり方をしたんじゃ」

実際のところ、石垣山一夜城を築くのに要した時間は約80日と言われています。当時、巧妙に城を築いた秀吉の才覚を伝えるエピソードです。

北条家は戦意喪失

この石垣山一夜城を見た北条家の人々は驚き、大いに戦意を喪失したと伝わります。その結果、早期に降伏することにつながったのです。

利家「石垣山一夜城は小田原城から4キロほどしか離れておらんでな、実際には見えたんだろうけれども。これだけの大きな城を築かれ続けたにもかかわらず、何もできなかった北条家はなおのこと、無力感に打ちのめされて追い詰められたんじゃないかと」

信長「なるほどの。見えておっても何もできず手出しもできんと。ただ見ているしかないと」

しかもこの城には珍しい特徴があります。それが井戸曲輪(いどくるわ)です。

利家「武士として攻める時、大切なのが水である。ゆえに、水が潤沢に確保できるようにそれ専用の井戸曲輪を用意して、井戸や湧水地、ため池などの水源が設けられた区画を設けて、安全に長期間籠城できるように努めたと」

この井戸曲輪はとても豊富な水が湧いていたこともあり、戦のさなかに茶会も開かれたとか。この様子を漏れ知った北条家はさらに士気が下がったといいます。
自分たち北条家は苦しい思いをしているのに、目と鼻の先の石垣山一夜城では茶会を開くほどの余裕を見せつけられれば、士気が下がるのも当然です。

前田利家は「実はこの石垣山一夜城については詳しくない」と告白。その理由として、小田原攻めの前に豊臣秀吉から蟄居を命じられていたからだと続けます。
その経緯について「あやつ(秀吉)がかってに機嫌を損ねた」と語り、真相については煙に巻いて締めくくりました。
(葉月智世)
 

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