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松原タニシが見た!長崎・外海の潜伏キリシタンと遠藤周作の世界

松原タニシが見た!長崎・外海の潜伏キリシタンと遠藤周作の世界

11月25日放送のCBCラジオ『北野誠のズバリ』では、事故物件住みます芸人の松原タニシが、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつ、長崎県の外海(そとめ)地区を訪問した体験を語りました。200年以上も信仰を守り続けた人々の歴史を辿り、小説『沈黙』の舞台となった遠藤周作文学館を訪ねた松原が見たものとは。

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潜伏キリシタンと隠れキリシタン

一般的には「隠れキリシタン」という呼び方の方が馴染み深いかもしれませんが、「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」には、厳密には違いがあります。

キリスト教が禁止されてから200年以上経った頃、実は長い間カトリックを信仰していたという人々が現れました。そこからカトリックに戻った人々が「潜伏キリシタン」と呼ばれています。

一方で、この200年以上の間にカトリックという認識がなくなり、先祖代々続いてきた土着の宗教として続けてきた人々もいました。神道などと混ざり合った独自の信仰を続けた人々は「隠れキリシタン」として区別されているのです。

「今出ております」の貼り紙

松原がまず目指したのは、潜伏キリシタンや隠れキリシタンに関する資料が多くあるという「外海潜伏キリシタン文化資料館」です。

長崎駅からバスで40分かけて到着すると、普通の一軒家のような建物に看板がありました。

しかしそこには「今出ております。現在、修学旅行生たちのガイドのため、ご用がある方は連絡ください」と電話番号と個人名が書かれた貼り紙が。

松原は「ひとりでやってるんや」と驚きます。結局、中に入ることはできませんでした。

日本で3か所の「キリシタン神社」

近くにある「黒崎教会」は、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台にもなったと言われている教会で、こちらは中に入ることができました。

さらに松原は、隠れキリシタンの聖地とされている「枯松神社」を訪れました。

キリスト教の信仰が見つかれば捕まって拷問されてしまう時代、信者たちはバレないように山奥のこの神社に集まり、岩に向かって手を合わせて「アーメン」と祈りを捧げていました。日本に3か所しかないキリシタン神社のひとつです。

2つの資料館、ひとりのおじいさん

その後、松原は「外海歴史民俗資料館」へ向かいました。工事中のような雰囲気で「やってるのかな」と思いながら入ってみると、修学旅行生たちと、その案内をしているおじいさんの姿が。

実はこの人が、最初に訪れた「外海潜伏キリシタン文化資料館」の管理者でもありました。

ガイド中だったため、松原は聞き耳を立てるぐらいしかできませんでしたが、館内には観音様をマリア様に見立ててこっそり信仰していたという「マリア観音」や、長崎で布教活動に尽力したド・ロ神父の解説などが展示されていたそうです。

ド・ロ神父の足跡

ド・ロ神父が描いた版画の絵も飾られていました。天国と地獄を描いたその絵は、まるで日本の仏教画の地獄絵図のようだったといいます。

鬼ではなく悪魔として描かれていますが、業火に焼かれて舌を抜かれるといった描写があり、日本もカトリックやヨーロッパも地獄の概念が似ていることがよくわかったと松原は語ります。

ド・ロ神父は、日本で初めてパスタを製造した人物ともいわれています。
潜伏キリシタンたちが外海の地域にいた理由は、役人たちにバレないよう行きにくい場所に集まっていたからでした。そういう場所は必然的に肥沃な土地ではなく、作物もなかなか育ちません。

外海を訪れたド・ロ神父は、一生懸命信仰を守り続けていた人々に会った時、その貧しさに心を痛めました。なんとかこの人たちを助けてあげたいと考え、ヨーロッパで作られている小麦粉料理として、パスタとパン、マカロニの作り方を教えたのです。

さらに小麦粉を使った日本風の料理として、そうめんの作り方も教え、人々はこれを食べ物にしたりお土産物にしたりして生計を立てられるようになりました。ド・ロ神父はそうした尽力をした方でもありました。

「狐狸庵先生」の素顔

外海地区には「遠藤周作文学館」もあります。遠藤周作は東京や西宮など各地にゆかりがありますが、代表作『沈黙』の舞台となったこの地に文学館が建てられました。小説の主人公が見た景色を訪問者に見せたいという思いが込められているそうです。

 館内には遠藤周作の書籍や解説が展示されており、松原が訪れた時は「遠藤周作と狐狸庵(コリアン)」という企画展が開催されていました。狐狸庵とは、遠藤周作がエッセイを書く時のペンネームです。

企画展を通じて、遠藤周作という人物像がよくわかったと松原は語ります。

笑いと悲しみが表裏一体

もともと家がカトリックで、遠藤周作自身もカトリック教徒。しかし日本におけるキリスト教信仰にはずれがあることを感じ、どうやって日本人にカトリックが馴染んでいくかを生涯のテーマとして書こうとした真面目な方でした。

戦争や病気を体験し、家庭も複雑で大変だったことから、悲しさや苦しさを笑ってごまかすというこども時代を過ごしました。『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんが大好きで、「こんな人になりたい」と思っていたといいます。

幼少期の遠藤周作の写真を見ると、病室でふざけていたりする様子が残されています。このおかしさと悲しさが表裏一体というところが、狐狸庵先生というエッセイストを生んだ土壌になっているのかもしれないと松原は感じたそうです。

真面目な作家としての顔と、ユーモアあふれるエッセイストとしての顔。両面の遠藤周作を見ることができる企画展でした。
(minto)
 

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