「開幕投手はない」落合博満監督の衝撃宣告。川上憲伸が語る2004年の真実

CBCラジオ『ドラ魂キング』、先週からスタートした「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。4月9日の放送では前回に引き続き、落合博満元監督について。今回は落合監督就任初年度の2004年、中日ドラゴンズの開幕投手を巡る驚きのエピソードを川上さんが明かします。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。
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落合ドラゴンズは8年間全てAクラス、5度の日本シリーズ出場、2007年には日本一。
2010年、2011年には球団史上初のセ・リーグ連覇を果たしました。先日、ドミニカ共和国で屋根の崩落事故により亡くなったトニ・ブランコ選手の活躍も、この連覇の時期でした。
当時は今と違い、予告先発制度がない時代。ファンも選手も、シーズン初戦を誰が投げるのか注目していました。
監督の突然の訪問
2004年のキャンプイン前日、全体ミーティングの前に、川上さんと岩瀬仁紀さんの部屋に突然落合監督が訪れました。
「今年から監督になる落合だけど、よろしくな」という簡単な挨拶の後、岩瀬さんに向かって「新聞で見ると先発だと意気込んでるけど、お前は抑えな」とひと言。
この言葉に「岩瀬さんの目がキューンと小さくなって、点ぐらいになった」と振り返る川上さん。その一方で「リラックスさせるための、監督のサプライズギャグかな」とも思ったそうです。
「開幕投手はない」衝撃のひと言
さらに落合監督は「川上はとりあえず開幕投手はないから。以上」と告げました。
「岩瀬さん以上に目がなくなりましたよ、僕。キューーーンって」と川上さん。その衝撃はかなりのものであったようです。
落合監督がその場を去ろうとした時、川上さんと岩瀬さんは目を合わせながら「なんだ?何が起きたんだ?」と混乱。
その空気を察した落合監督が振り向いて「なんかあるのか?なんかあるんだったら今のうちに言えよ」と問いかけましたが、「いえ、何もないです」と答えるしかなかったそうです。
情報は味方にも漏らすな
それ以降、キャンプ中は挨拶をする以外、落合監督との会話はなし。川上さんとしては、本当に開幕投手ではないのかどうか、実際のところは半信半疑だったといいます。
オープン戦のローテーションが「なんとなくホームゲームで投げる雰囲気のローテーション」だったため、「それでも、開幕投手かな」という思いもあったそうです。
先輩の山本昌投手や、落合英二投手が「お前じゃないのか、開幕は」と尋ねてくることもあったといいます。
落合監督には「情報を味方にも漏らすな」という方針がありましたが、先輩投手からは「いじゃないか、言えよ!」と詰め寄られる場面も。
しかし「違うと思いますよ。山本さんじゃないんですか?」と聞き返した川上さんに、「バカヤロウ!俺はお前みたいにウソはつかない」と言われてしまったそうです。
開幕直前まで続いた混乱
半信半疑のまま、徳島の両親や友人のために開幕戦のチケットを大量購入し、ホテルも予約したという川上さん。
しかし、開幕2、3日前になっても状況は変わりませんでした。中日新聞本社での激励会で、川上さんは森繁和ピッチングコーチに声をかけました。
「明日、ブルペンに入った方がいいと思うんですけど。どうしたらいいんですか?」
返ってきた答えは「俺も知らねえんだよ」。「お前、言われてねえのか」と逆に質問され、「何も言われてないです」と答えた川上さん。
森コーチがその場で監督に確認してくれ、川上さんは「開幕3戦目らしい」と知らされたというのです。
その瞬間、川上さんの頭に浮かんだのは、「チケットどうしようか、ホテルどうしようか」という現実的な悩みでした。
現在のドラゴンズへの影響
この「情報統制」の重要性は、現在の中日ドラゴンズにも脈々と受け継がれています。
落合監督の下でプレーした井上一樹現監督が、キャンプ前日のミーティングで全員に「喋る相手を間違えるなよ」と伝えたのも、この流れを汲むものだと指摘する宮部。
「開幕投手はないと言われた憲伸さんが、それでもまだ半々だったという言葉が印象的でした。そこはもちろん、俺だろうというエースのプライドもあったかと思います」と締めくくりました。
開幕ピッチャーなのか、そうでないのか。川上憲伸さんの困惑はまだまだ続きます。
(minto)
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