「扉に2万円を貼って夜の街へ」元中日・牛島和彦が明かす豪快な罰金エピソード

3月19日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』、この日のゲストは元中日ドラゴンズの牛島和彦さん。「ドラゴンズスペシャル」のコーナーでは、インターネット上の百科事典サービス「Wikipedia(ウィキペディア)」でご本人に関する記載を紹介し、そこに書かれている内容を検証しました。牛島さんは「12球団すべてが挨拶に来た」というドラフト前の意外なエピソードや、「扉に罰金を貼って夜遊びに行った」という噂の真相について率直に語りました。
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以下、フリー百科事典『Wikipedia(ウィキペディア)』「牛島和彦」からの引用です。
「ドラフト前は才能こそあったものの、あまりの素行の悪さから手を引く球団が続出し、中日も1度は指名を見送る予定だったが、当時の監督だった中利夫の強い希望と星野仙一(1981年より投手コーチ補佐兼任)の『オレが鍛え直してやる』の一言で指名を決めた」
宮部和裕アナウンサーが「まさに本人に大変失礼ですが」と前置きしながらこの記述を読み上げると、牛島さんは「それは本人はわからないですね。とにかく挨拶は来てましたけどね」と一言。
実際、牛島さんのもとには12球団すべてが挨拶に訪れていたそうです。
広島は「野手獲り宣言」
「ただ、『パ・リーグには行きません』って言ったんで、えらい怒られましたけどね。『生意気や!こいつは』言うてね」と牛島さん。
これは耳が不自由な祖父のため、テレビ中継の多いセ・リーグを希望したというのが真相でした。
「ドラフトで手を引く球団が続出した」という部分については、「俺じゃなくて球団の人に聞いてよね」と牛島さん。そして「広島は野手で取るって言ってました」と意外な話も飛び出します。
牛島さんは「結局、府中東の片岡(光宏)って、宮崎で今お好み焼きやってるね。ミツと僕と比べたら、やっぱり地元の選手取らなあかんでしょ、みたいな世界ですよね」と当時の様子を振り返りました。
結果として、牛島さんは中日から1位指名を受けることになったのでした。
伝説の罰金エピソード
以下、フリー百科事典『Wikipedia(ウィキペディア)』「牛島和彦」からの引用です。
「また、中日時代には、選手寮の門限破りの罰金を給料から天引きにしてくれと言い残したり、部屋の扉に罰金をあらかじめ貼り付けたりして、夜の街へ遊びに行ったというエピソードが牛島自身から語られている」
この内容について、牛島さんは「僕、一軍寮にいたんで、22時半に門限なんですよ」と当時を振り返ります。
「高校時代の『何もできないような、もう家帰ったら24時』みたいな生活から、プロ野球選手になって『門限22時半です』『えー!』みたいな世界ですよね」と牛島さん。高校時代の22時半頃はまだ電車に乗っている時間だったそうです。
寮の門限を破ると5,000円、無断外泊は2万円の罰金が科せられたそうです。当時の手取りが15万円ほどしかなかったため、「収支はマイナス」だったといいます。
今日はもう帰ってこないと思う時は、「扉に2万円、画鋲で貼って出かけた」と牛島さん。
やはり伝説は本当だったようです。ただし「給料天引きにしてくれとは僕は言ってません」と訂正します。
門限破りの部屋
また、優勝時に球団から支給された賞金の封筒をそのまま寮長に渡し、「これで当分の罰金を払ってください」と伝えたところ、「ふざけんな」と激怒されたという驚きのエピソードを明かしました。
給料から罰金が天引きされる制度が導入されたのは、牛島さんの退団後。「いちいち現金を集めるのが大変だから。今の寮長の平沼(定晴)あたりから、罰金が給料から引かれるようになった」とのことです。
「平沼が入った部屋は僕の後なんですよ。『この部屋は門限破りばっかりか』って言われてた」と笑う牛島さんでした。
(minto)
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