CBCラジオでも番組担当。今いくよ・くるよさんが遺した功績
5月27日、「どやさ!」というフレーズと派手な衣装でおなじみ、特に関西で人気を誇った女性漫才師の今くるよさんが亡くなられました。80年代の漫才ブームを牽引し、当時数少ない女性コンビとして活躍した今いくよ・くるよ。1994年から2012年のおよそ18年間、CBCラジオでは『いくよくるよのもうかりまっか』を担当し、東海エリアの方にも長年親しまれました。6月7日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、お笑い芸人への取材を数多く行ってきた芸能記者、中西正男さんがあらためて今いくよ・くるよさんが芸能界にもたらした大きな功績や、知られざる素顔について語りました。
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この記事をradiko(ラジコ)で聴く漫才ブームで人気に
1980年頃、ツービートやB&Bら若手漫才コンビの台頭により起こった「漫才ブーム」。
1994年生まれの山内彩加アナウンサーは未知のブームでしたが、1966年生まれの竹地祐治アナウンサーは「漫才ブーム」の頃、カセットテープに漫才を録音して何度も聴いていたそうです。
今や女性芸人は珍しくありませんが、中西さんは「その道筋を作ったのがいくよ・くるよさん」と語ります。
かつて女性漫才師は、海原千里・万里さん(海原千里さんは現在の上沼恵美子さん)やかしまし娘などのように、身内で組むユニットがほとんどでした。
今いくよ・くるよは当時としては非常に珍しい、高校時代の同級生によるコンビで、所属事務所の吉本興業では育てるためのノウハウがなかったそうです。
女性コンビにとって劣悪な環境
当時の女性漫才コンビには「どちらかが結婚したらリズムが狂う」「こどもができたらリズムが狂う」「結婚で芸人を辞めるから育成しても仕方がない」という、今では批判を受けそうな偏見があったようです。
また女性コンビの存在が珍しいこともあり、楽屋には男女の仕切りはなく、着替えもポンチョのようなものを被っておこなっていたそうです。
デビューから10年ほど経って起こった「漫才ブーム」により、いくよ・くるよにもようやくスポットが当たります。
売れっ子になると、吉本興業もこれまでのような扱いはいけないと考え、女性芸人へのケアが増えていったそうです。
当人たちはそのような環境を笑い話にしていましたが、、当時周りにいた芸人たちは「こんな環境でようやってたわ」と振り返っているようです。
若手から慕われる存在に
いくよ・くるよのふたりは自身がが苦労した分、女性芸人や若手芸人にはおいしいものをご馳走していたそうです。
若手芸人やスタッフを「キムタクみたいやんか」「福山雅治みたいやんかいさ」などと褒めることでも知られたおふたりですが、実は中西さんも「ブラッド・ピットやんかいさ」と言ってもらったそうです。
このニックネームにより、いくよ・くるよの周りは常に明るい雰囲気だったそうです。
中西さんはおふたりに対する悪口を聞いたことがない上に、「先輩のことをイジる後輩が多ければ多いほど愛されているのがわかる、その点でいくよ・くるよさんは中川家を始めとしてたくさんエピソードがあるので、それだけのことを遺していかはったんやと思いますね」と語りました。
関西ではいくよ・くるよのあとにハイヒールなどが続いていて、女性コンビにはしっかりと道筋がつけられています。
いくよ・くるよさんのことをあまり知らなかった山内も、最後に「みんなが進む道を作った偉大な方というのが、すごくよくわかりました」と感想を述べました。
(岡本)