CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

さらば谷村新司!青春を照らし続けてくれた歌と言葉たちに哀悼の感謝

さらば谷村新司!青春を照らし続けてくれた歌と言葉たちに哀悼の感謝
CBCテレビ:画像『写真AC』より「ステージ」

訃報は秋の日の午後に届いた。谷村新司さん、アリスのリーダーであり、ソロシンガーだった。国民的歌手だった。2023年10月8日、早すぎる旅立ち。数々の名曲、そして、心に残る言葉の数々は、谷村さんの74年の人生を語ってくれる。

アリスの名曲にある言葉

谷村さんがリーダーをつとめ、堀内孝雄さん、矢沢透さんと結成したバンド「アリス」。谷村さんと堀内さんのダブルボーカルとギター、矢沢さんのビート豊かなドラム、1972年(昭和47年)のデビュー後、1980年代前半にかけて、まさに一世を風靡した人気グループだった。コンサートには度々通ったが、チケットを入手するために、毎回かなりの倍率の抽選にのぞんだ。初期の頃から、必ず歌われた歌に『遠くで汽笛を聞きながら』がある。谷村さんは、こう紹介した。「アリスにとって永遠のテーマ曲です」と。3番の歌詞がたまらなく好きである。

「自分の言葉に嘘はつくまい 人を裏切るまい 生きてゆきたい 遠くで汽笛を聞きながら」

絶頂期の驚きの言葉

CBCテレビ:画像『写真AC』より「レコーディング」

デビュー5年目に出した『冬の稲妻』のヒットをきっかけに、出す曲、出す曲が次々とヒットランキング入りした。TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』の常連でもあった。『ジョニーの子守唄』『チャンピオン』『秋止符』『狂った果実』、当時“ニューミュージック”というジャンルが登場していたが、アリスはそのトップランナーだった。山口百恵さんは、谷村さんが作詞作曲をした『いい日旅立ち』を番組で披露した。そんな絶頂期に、谷村さんはコンサート会場で、満員の客席に向かってこんなことを語っていた。まだ31歳の若き頃にもかかわらず、である。

「沢山のファンに支えられて、今、自分たちアリスは“夏”の季節にいる。しかし、いつか“夏”は終わり、“秋”が来て“冬”が来る。これからその階段を一歩一歩、下りてゆきたい。胸を張りながら」

『昴』の歌詞に託した言葉

アリスの活動停止が発表されたのは、その後すぐ、1981年(昭和56年)のことだった。前年に、アリスは初の海外公演として、タイにあるタマサート大学でコンサートを開催。さらに、北京でも2日間のコンサートで2万人を動員した。アリスの歌は国境を越えて、アジアを熱狂させた。その中で、谷村さんは、アリスの階段とは別に、ソロ歌手としての階段を上り始めたのだった。『昴』という歌は、そんな中で生まれた。こんな歌い出しである。「目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ」。谷村さんは、この『昴』をステージで、こんな風に紹介した。

「子どもの頃は目を閉じると、たくさんの夢を見ることができた。でも大人になると、目の前にあるものしか、見えなくなってしまった」

歌と共に“言葉”があった

CBCテレビ:画像『写真AC』より「ギター」

谷村さんは「シンガー」という言葉を愛していた。日本語に訳せば「歌手」なのだが、歳を重ねるごとにダンディズムを増していった谷村さんに、ピッタリの肩書きだった。“シンガー谷村新司”は、ソロ活動と共に、再びアリスとして3人のグループ活動にも力を入れていた。そんな矢先の突然の旅立ちだった。アリス時代も、そして、ソロの時代も、谷村さんの歌には、たしかな“言葉”があった。コンサート会場で語る“言葉”には、深い愛と人生があった。私たちファンは、そんな谷村さんをこよなく愛した。

別れの秋を迎えて、コンサートでの谷村さんの言葉を思い出す。

「身体はいなくなっても、その人が残してくれた言葉というものは、しっかりと覚えているものだよ」

ありがとう、谷村新司さん。あなたの残してくれた歌と言葉を心に刻んで、ずっと大切にしていきますね。
          
【東西南北論説風(461)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

この記事の画像を見る

オススメ関連コンテンツ

PAGE TOP