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世界が求める日本製「エレキギター」実は信州生まれ、その歴史と魅力を探訪

世界が求める日本製「エレキギター」実は信州生まれ、その歴史と魅力を探訪
CBCテレビ:画像『写真AC』より「エレキギター」

グループサウンズが好きだった。当時まだ小学生だったが、ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ブルー・コメッツ、そしてオックスと、今でも次々と名前が浮かぶ。そんな時、耳にはエレキギターの音がよみがえってくる。全身に響いてくるビート。米国生まれの「エレキギター」だが、日本で大きな進化を遂げた。そして、その成長の舞台は風光明媚な信州の松本だった。

エレクトリックギター、通称「エレキギター」は、弦の振動を電気信号に変換してスピーカーから出すギターである。1930年代に、米国のジャズギタリストが、バンドの中でギターソロを弾く時に使ったことが最初だと伝えられている。長野県松本市、山々に囲まれて、江戸時代から木を使って家具を作る木工産業が盛んな土地。さらに1年を通して湿度が低く、日本国内でも有数の乾燥した気候で知られる。木材を乾かすことには適していて、多くの家具メーカーがあり、やがてその技術を活かして、バイオリンなど楽器の製造も始まっていた。

「創業当時の富士弦楽器工場・1960年」提供:フジゲン株式会社

そんな松本市に、1960年(昭和35年)、「富士弦楽器製造」は創業した。「富士山のように日本一になろう」そんな夢を抱いての命名だった。

もともとはバイオリンの製造から始めたが、翌年にはクラシックギター作りへ。そんな時に、市場を調査してみると、欧米では「エレキギター」が人気を集めていた。そこで富士弦楽器製造は方針を転換し、1962年(昭和37年)に「エレキギター」の製造を始めた。

「創立当時に生産されたクラシックギター」提供:フジゲン株式会社

最初は手探りだった。地元にギター作りの専門家がいるわけでもなく、本場の米国から取り寄せた写真や、実際に米国に出かけてスケッチしてきたものを参考にした。そんな中、1965年には、ザ・ベンチャーズが、そして翌年にはビートルズが来日し、エレキギターは一気に注目された。日本でもグループサウンズが一世を風靡し、エレキギターは時代の最先端を走る楽器となった。

「ギターは木材が大切」提供:フジゲン株式会社

ギター作りで最も重要なのは「木材」だった。エレキギターは、弦の振動を電子音に変える仕組みなのだが、その音色は素材である「木」にかかっていた。弦を張って、手で握る「ネック」部分は、木が微妙に反ったり曲がったりするだけで、弦の弾き方に大きく影響した。また、本体の「ボディー」は、木の状態によって、弦の響きに呼応してはね返ってくる音の質がまったく違った。スタッフたちは、山林に足を運び、原木を選び、色合いや質感、さらに音響効果に優れた木を選び抜いて集めた。

さらに大切なのは、切り出した木の取り扱いだった。木は、乾燥の仕方によって、反ったりねじれたり、割れたりした。それをいかにコントロールするか。「木は切った後も生きている」これが、ギター作りの合い言葉だった。ここで、この土地で長年培われてきた家具作りの技が生きる。それは、木を乾燥させる方法だった。自然乾燥で木材に含まれる水分を20~30%まで落とし、続いて、乾燥炉で1か月ほど乾燥させて4~5%まで落とす。そして再び水分量を戻す。減湿と加湿のくり返しによって、木は自然環境になじみ、歪みなどがなくなった。信州の気候だからこそ、こうした細やかな品質管理と製造が実現した。

「現在のフジゲン工場」提供:フジゲン株式会社

エレキギターは、木材を使うために、その音質が環境に左右されるデリケートな製品だったが、富士弦楽器のエレキギターは、世界各国の様々な気候でも対応でき、その安定性は抜群だった。1989年(平成元年)に、会社名を「フジゲン株式会社」と変えた。現在は、1か月あたり3000~3500本のエレキギターを製造している。国内はもちろん、海外30か国以上に輸出しているが、エレキギターと言えば、誰もが思い浮かべる海外のトップメーカーのエレキギターも、実はその多くが「フジゲン」が製造したもの。信州で製造されたものに、それぞれのブランド名を付けて販売しているのである。世界のミュージシャンたちの演奏を支えているのは、日本製のエレキギターなのだ。

「60周年記念モデル」提供:フジゲン株式会社

「エレキギターはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、“心ふるわす素敵なビートに”包まれながら、刻まれている。
         
【東西南北論説風(413)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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