西城秀樹とその時代~昭和歌謡を疾走した若き獅子
デビュー40周年の記念イヤーを迎えたサザンオールスターズに『天国オン・ザ・ビーチ』(2014年)という作品がある。デビュー記念日の今年6月25日当日にサザンがライブをすることを知った朝、彼らのアルバム『葡萄』に収録されていながら3年前のツアーでは唯一ステージで披露されなかったその曲のことをぼんやりと思い浮かべていた。
歌手・西城秀樹さんの訃報が届いたのは、同じ日の昼下がりだった。偶然である。
『天国オン・ザ・ビーチ』の中には、西城秀樹さんの名前「ヒデキ」と西城さん1978年(昭和53年)発表の作品『ブルースカイブルー』のタイトルが歌詞として登場している。サザンの曲に歌手の名前が登場することも珍しい。桑田佳佑さんの西城秀樹に対する思いを見た。
西城秀樹という歌手を言い表すならばどんな言葉がいいのだろうか?
「情熱」「熱唱」「迫力」「エネルギッシュ」「開拓者」・・・。その死によって彼を表す沢山の言葉が贈られている。
昭和の一時期、彼の歌を愛したひとりとして、私には「疾走」という言葉が浮かんだ。ただの疾走ではない。彼は時代の中で常に「脱皮」しながら「疾走」し続けた。
デビュー2年目の1973年(昭和48年)に出した『情熱の嵐』そして翌年の『激しい恋』『傷だらけのローラ』によって、「熱唱」という初期のイメージができ上がった。しかし同時にカレー食品のCMやドラマ『寺内貫太郎一家』への出演があり、歌だけではない魅力を拡散する。
本業の歌においても、外国曲をカバーした『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』の大ブレイク、オフコース小田和正の名曲『眠れぬ夜』の歌唱、さらに再び初期の熱唱を思い起こさせた『ギャランドゥ』など、定番ではない「脱皮」がくり返された。
「新御三家」と呼ばれ一緒に活躍した野口五郎と郷ひろみも共に脱皮をめざした。野口五郎は抜群の歌唱力と共に、研ナオコと組んでのバラエティ番組でも新境地を開いた。郷ひろみは恋愛や結婚を経ながら歌に深みを加え、海外に拠点を移した経験も活かしながらスタイリッシュさに磨きをかけた。しかし、西城秀樹の脱皮のウィングの幅広さは3人の中でも一番だったのではないだろうか。
西城秀樹が疾走した時代
西城秀樹が疾走した時代の中、初期の代表曲『傷だらけのローラ』で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した1974年(昭和49年)から『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』が歌番組『ザ・ベストテン』で満点9999点を2週連続で獲得した1979年(昭和54年)に至るまでの6年間は、昭和歌謡が最も輝いた時代だと言えよう。それぞれの年のレコード大賞受賞曲たちがそれを証明している。『襟裳岬』『シクラメンのかほり』『北の宿から』『勝手にしやがれ』『UFO』『魅せられて』、いずれも昭和歌謡史を彩る名歌である。
この間に西城秀樹は歌手生活で最初の脱皮を経験する。それに大きく関わった作詞家が故・阿久悠さんである。
阿久作品である都はるみ『北の宿から』が日本レコード大賞を受賞し、また『およげ!たいやきくん』が歴史的ヒットを記録した1976年(昭和51年)、デビューから4年を迎えた西城秀樹は初めて阿久悠と組み、『君よ抱かれて熱くなれ』を発表する。激しい恋情を前半はバラード、後半は絶唱で歌い上げたこの曲を初めて聴いた時の衝撃と心地好さが懐かしい。それ以降の3年間、西城秀樹のほとんどのシングル曲は阿久悠が詞を書いた。
「スタッフに『ヒデキを少年から青年にして下さい』と頼まれて、彼の歌を書くようになった。それから三年が過ぎ、見事な青年になり、大人にもなりかけていた。西城秀樹の脱少年というプロジェクトは完成したのだった」
音楽評論などで知られる中川右介さんは、著書『阿久悠と松本隆』(朝日新書)の中で、西城と阿久の関係について、こう表現している。
そして、このプロジェクトの最後の曲、すなわち阿久悠が西城秀樹のために書いた最後の詞が、サザンオールスターズの桑田佳佑が自らの歌詞にタイトルを盛り込んだ『ブルースカイブルー』である。人妻との許されない恋そして別れを描いたこの曲はまさに“大人の歌”。西城秀樹という歌手の「脱皮」、その節目の一曲と言えるだろう。
そして、『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』の発表はその翌年である。西城秀樹は阿久悠と離れ、早くも次の脱皮を実現したのだった。
西城秀樹の「脱皮」は病魔にも負けなかった。2003年と2011年、二度の脳梗塞に見舞われながらもリハビリに向かい合い、音楽活動を続けた。新曲の発表こそ数は減ったが、不自由な身体を隠すこともせずにステージに立った。西城秀樹の「疾走」は最後まで止まりはしなかった。
それを知っているからこそ、沢山の人が彼の数々のヒット曲を振り返り、早すぎたその死を惜しんでいるのであろう。
最も好きな歌に『若き獅子たち』がある。これも阿久悠が西城秀樹のために詞を書いた。
愛する女性に別れを告げて雄雄しく旅立っていく男の気持ちを描いた壮大なスケールの歌である。
昭和歌謡を疾走した若き獅子が旅立っていった2018年5月、五月晴れのその
空はとても哀しいブルーだった。