「マスキングテープ」そのカラフルな魅力~工業用から大変身させた驚きの発想
米国で生まれた保護用の粘着テープ「マスキングテープ」に、新たな命を吹き込んだのは、ニッポン企業の斬新な発想と柔軟な対応力だった。もともとは自動車の塗装用として生まれたマスキングテープが、日本の地で文具や飾りつけ用のカラフルな商品へと大きく“変身”するまでの歩みを訪ねる。
マスキングテープは、1925年(大正14年)に、米国のメーカーのエンジニアだったリチャード・ドリューさんによって発明された。「マスキング」=「覆い隠す」の意味。色を塗らなくてもいい部分を、一時的に保護するためのもので、最初は、自動車の塗装用に開発された。
1923年(大正12年)に、鴨井利郎(かもい・としろう)さんが、岡山県倉敷市に創業した「カモ井ハイトリ紙製造所」は、その名の通り「ハエ取り紙」を製造する会社だった。米国でマスキングテープが発明されると、培ったノウハウを活かして、マスキングテープの製造にも乗り出し、1962年(昭和37年)に、車の塗装や建築現場で使うための、国産マスキングテープを発売した。
米国など海外のマスキングテープは「クレープ紙」という再生紙でできていたため、紙自体に厚みがあって、色を塗り終えて剥がしても、その段差によってムラができることもあった。しかし、カモ井は、マスキングテープに、日本伝統の和紙を使った。和紙は水に強く、破れにくい上、何よりも薄かった。「貼りやすく、その上、剥がしやすい」。日本の職人たちは細やかで、現場の塗装なども仕上がりを重視する。試行錯誤しながら開発された、カモ井の和紙マスキングテープは重宝された。1960年代は、マイカーブームの中、主に自動車の塗装用に、そして、高度成長期の1970年代は高層ビルなど建設ラッシュの中で建築用に、工業用のマスキングテープは、一時は会社の売り上げの9割を占めたほどだった。
そんなマスキングテープに大きな転機が訪れたのは、2006年(平成18年)だった。会社は「カモ井加工紙」と名前を変えていたが、倉敷市にある本社に、東京に住む3人の女性から「マスキングテープの工場を見学させてほしい」と連絡があった。一般からの工場見学を受け入れていなかったが、3人はマスキングテープを使って、部屋の飾りつけをしたり、ラッピングやコラージュを楽しんだり、その成果を冊子にまとめていた。送られてきた冊子を見て、その熱心な申し入れに、カモ井加工紙では工場見学を受け入れた。
工場にやって来た女性たちは、製造過程を熱心に見た上で、「テープの上から文字が書ける」「手でちぎって使える」など、次々とその魅力を語った。従来の工業用マスキングテープは、白色、黄色、青色など普通の単色ばかりだったが、3人は、工場見学をして「色鉛筆のようなテープがあったらいいな」という感想も伝えた。自分たちが作っているマスキングテープにそんな使い方があったのかと、担当者は驚き、カモ井加工紙として、彼女たちの熱心なリクエストに応えることになった。
新たなマスキングテープの開発が始まった。色は?デザインは?柄は?長さは?製造現場は熱気にあふれた。工業用では18メートルと長かったテープを、15メートルに短くした。色は、和紙に合う日本伝統の色を加えて、20色に増やした。そして、2年後の2008年(平成20年)に、工業用ではない、新しいマスキングテープが完成した。名づけて「mt(エムティー)」。デザインも「水玉」「花柄」「フルーツ」など多彩になった。主に女性たちから圧倒的な人気を集めて、その年の「グッドデザイン賞」も受賞した。カモ井加工紙では、今日まで、1万種類もの「mt」を発売した。
「mt」は、インテリア用やラッピング用として人気の他、アート用として芸術家にも使われる。地元の倉敷市では、昔ながらの街並みを走る人力車やレンタサイクルも、この「mt」でデコレートされた。JR西日本の山陽線には、車両の外装と内装に「mt」を使った「マスキングテープ列車」もお目見えした。米国で工業用として生まれたマスキングテープは、日本の倉敷の地で、新しい命を吹き込まれて歩み続けている。
「マスキングテープはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、“色鮮やかな沢山のテープによって”華やかに飾りつけられている。
ちなみに、人気のマスキングテープ「mt」と共に、カモ井加工紙では、ハエ取り用の「リボンハイトリ」も作り続けている。会社にとっての大切な第一歩だった商品。初心忘るべからず。老舗企業の矜持がそこにある。
【東西南北論説風(433) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。