世界最大級の「地下街」王国ニッポン、その発展史は名古屋抜きには語れない
「地下街」とは、地下に作られた歩道に面した商店街。これは複数の法律に記述されている。世界各国にも様々な地下街があり、世界最長30キロとも言われるカナダのトロントはじめ、ドイツのベルリンや韓国のソウルなどは有名である。狭い国土の日本では、行政と民間が一緒になって地下を開発してきた歴史があり、まさに“世界最大の地下街王国”と言えそうだ。
世界最初の「地下街」は、トルコの世界遺産カッパドキアにあった地下都市ではないかという説がある。火山の噴火によって、地下にできた洞窟。6世紀から10世紀にかけて、アラブによる襲撃に備えるため、人々はそこに町を作って住んでいたことが、遺跡などからも分かっている。古くから人類は、地上だけでなく、地下にも生活空間を求めていたようだ。
日本における最初の本格的な地下街は、名古屋駅前の「名駅地下街」(現・サンロード)と言われる。1957年(昭和32年)に開業した。出店した店の数は61店舗、スケールの大きな地下街だった。高度成長期を迎えて、名古屋の街には車があふれていた。特に主要ターミナルである名古屋駅周辺の地上は、車、バス、そして当時まだ走っていた市電などが混在して、駅前ロータリーは大変な混雑だった。そんな中、1957年11月に、市営地下鉄の東山線が名古屋駅と栄駅の間で開通することになった。そのタイミングで「地上は車、地下は人」と分けることはできないか。町づくりを進める中で、名古屋駅に「地下街」を作る計画が始まった。特に名古屋は、100メートル道路に代表されるように、全国でも幅広い道路が走っていた。そして、その地下には広いスペースが存在していた。「地下街」という構想は、 名古屋の町にぴったりの都市計画で、名古屋駅前だけでなく「地下街」は広がっていく。
地下街のメリットは沢山あった。
① 歩行者優先。安心安全で歩くことができる。
② 雨の日も傘は不要。冬も寒くない。夏は涼しい。
③ 多種多様な店があって、買い物も飲食もまかなえる。
④ デパートの地下売り場と直結している。
⑤ 地下の駐車場とも直結している。
⑥ 地下鉄とも直結している。
都心では土地の値段が高騰していたが、地下の空間を利用すれば、土地の費用もかからない。多くの都市がこぞって、地下街開発に乗り出すことは、当然と言えば当然だった。
名古屋市によると、名古屋の地下街の総面積は17万平方メートルで、東京と大阪に次いで全国3位だが、名古屋駅と栄という2つの地区には、8万平方メートルという巨大な地下街が存在し、全国的にも抜きん出たイメージがある。名古屋駅には「サンロード」「メイチカ」「ユニモール」「エスカ」そして「ゲートウォーク」など9か所、栄には「サカエチカ」「栄森の地下街」「セントラルパーク」の3か所、その他に「金山地下街」と「伏見地下街」、合わせて14もの地下街がある。地下における防災上の問題もあって、国が新しい地下街建設については「やむをえないもの以外は厳しく抑制する」という方針を打ち出していることから、かつてのように地下街をどんどん開発することはできなくなっている。このため名古屋にとって、地下街トップクラスの地位は、まだまだ当分揺らぐことはないだろう。
“狭いニッポン”と言われながらも、地下に目を向けた街づくりを進めた知恵と工夫。「地下街はじめて物語」のページには、日本の都市文化の歩み、その確かな1ページが、“高度成長期の残像を映し出しながら”今日も刻まれている。
【東西南北論説風(385) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。