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遊歩道へと生まれ変わる「東京高速道路(KK線)」 新橋・銀座の発展を支えてきた歴史の歩み

遊歩道へと生まれ変わる「東京高速道路(KK線)」 新橋・銀座の発展を支えてきた歴史の歩み
CBCテレビ『道との遭遇』

全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道を紹介。今回は、「東京高速道路(KK線)」の歴史を紐解きました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)

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街の新たなシンボルに生まれ変わる「KK線」

CBCテレビ『道との遭遇』

「東京高速道路『KK線』は、制限速度40kmで、新橋から2kmしかない短い変わった道路」と道マニア。さらに、「異質になったのには理由があり、新橋や銀座の歴史とも密接に関係がある」と言います。

東京の都心部を1周する全長約15kmの「首都高速都心環状線」。これに接続するのが、銀座エリアの西側を走る「東京高速道路」と呼ばれる自動車専用道路。開通は首都高速よりも早い1959年で、運営は「東京高速道路株式会社」という別の会社が行っていました。

かつて首都高を運営していた「道路公団」の道ではなく、「株式(K)会社(K)」の道から「KK線」と呼ばれることに。

CBCテレビ『道との遭遇』

KK線は商業ビルや事務所ビルと一体構造となっており、高架下のテナントから賃料収入を得ることで維持管理費を賄えたため、通行料はなんと無料。ビルは全部で14棟あり、約400もの店舗が立ち並びます。

しかし、KK線と接続する「首都高速八重洲線」の地下化に伴い、2025年4月に役目を終え、66年に渡る歴史に幕を下ろしました。廃止後は遊歩道として再開発されることが決まっており、街の新たなシンボルへと生まれ変わります。

かつて汐留には新橋停車場があった!川を埋め立て高速道路に転用

CBCテレビ『道との遭遇』

多くの企業が集まるビジネス街「新橋」。駅の東側の汐留(しおどめ)エリアには、復元された駅舎「旧新橋停車場」があります。

鉄道開業の地である汐留は埋立地で、かつては海でした。町中に張り巡らされた川を利用して物資を運んでいた江戸時代、海の水が江戸の町へ入り込まないよう、この場所には堰(せき)が設けられており、潮が留まることから「汐留」と呼ばれるようになったと言われています。

その後、時代は船から鉄道へと移り、明治5年に日本初の鉄道が横浜~新橋間に開通。新橋はしばらく東京の玄関口として賑わいましたが、大正3年の東京駅開業後は貨物専用の駅に。

そして、長年使われてきた貨物駅も廃止され、鉄道の時代は終わりを迎えます。昭和30年代、輸送手段は鉄道から車へと移り変わっていきますが、銀座エリアは過密地帯で新たに道路を造るスペースがなく、かつて船運に使われていた川を埋め立ててKK線を建設することに。

CBCテレビ『道との遭遇』

6年に渡る工事を経て、昭和34年に一部区間が共用開始し、昭和41年には全線が開通。物流を支える役割を担いました。

KK線は川跡の上に造られたため、急カーブが多く事故防止の観点から、時速40kmに制限されています。

現在も地名や交差点名として残る新橋、京橋、数寄屋(すきや)橋にはそれぞれ橋がかけられていましたが、KK線の建設にともない川は埋め立てられ、橋も姿を消しました。

銀座の中心部を走る道が広いワケとは

CBCテレビ『道との遭遇』

歴史ある老舗と最先端ショップが共存する繁華街「銀座」。中心部を走る道路が広いのは、「交通量の多さだけでなく、戦前に造られた地下鉄も関係している」と道マニアは言います。

明治36年、路面電車の運行が開始。地下鉄が開業する前、人々は路面電車を移動手段として利用していました。しかし、路面電車は車社会の発達により次第に渋滞の原因に。

CBCテレビ『道との遭遇』

そこで、注目されたのが地下鉄の開発。銀座のような商業の中心地では多くの路線を造る必要があり、地下に十分なスペースが求められました。地下鉄は土地の所有権の関係で公道の真下に造られるケースが一般的。地下鉄の建設、そして交通量の増加といった観点から、地上にも幅広い道路が必要とされました。

CBCテレビ「道との遭遇」2025年6月3日(火)午後11時56分放送より

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