日本最古のレンガ造りの隧道!京都・兵庫にある「山陰街道」の歴史を紐解く旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、バイクで日本を2周したこともある道マニア歴27年の松村真人さんが、京都・兵庫にある“明智光秀ゆかりの山陰街道”を巡ります。※許可を得て撮影しています。
深い歴史の痕跡を残す、明智光秀も通った「山陰街道」
松村さんと一緒に旅をするのは、CBCテレビの小川実桜アナウンサー。2人が訪れたのは、京都市のJR丹波口駅。
室町時代から江戸時代にかけて、京都と他の地域を結ぶための街道を整備。その出入り口の総称を「京の七口(ななくち)」と呼び、鞍馬口や大原口など“口”のつく地名や駅名は今も残されています。
その中の丹波口は、現在の京都府中部と兵庫県東部にあたる丹波国(たんばのくに)までを繋ぎ、その先は山陰地方まで道が伸びていたため、「山陰街道」と名付けられました。
かつては丹波国の亀山城(かめやまじょう)を拠点にしていた明智光秀が頻繁に使ったという重要な道で、現在に至るまで姿形を変えながら街道として生き続け、その道には深い歴史の痕跡が残っていると松村さんは言います。そんな山陰街道の歴史を紐解きます。
2人は、山陰街道を継承する国道9号を西へ。松村さんが、山陰街道を語る上で欠かせないという場所を目指します。
京都市と亀岡市の境界から西へ進むと、現れたのは昭和9年竣工の「老ノ坂(おいのさか)トンネル」。
(道マニア・松村真人さん)
「もともと車道として造られたが、手狭になったので隣に掘り直した。新トンネルができたことで、かつての老ノ坂トンネルは歩行者・自転車専用になった」
古くから山陰街道の難所だった老ノ坂峠を攻略するために老ノ坂トンネルが造られましたが、昭和41年により道幅が広い新しいトンネルがすぐ隣に完成。かつての老ノ坂トンネルは改修され、歩行者・自転車専用道路として使われています。しかし、この2つの隣り合う老ノ坂トンネルは、二代目と三代目とのこと。
(道マニア・松村真人さん)
「三代目のトンネルが、元初代。二代目のあとに初代を造り直した。ここは、旧道かつ現役道路」
国道9号のトンネルが造られた場所には、明治15年に造られた初代のトンネルがありました。初代は「松風洞(しょうふうどう)」、二代目は「和風洞(わふうどう)」という名が付けられ(現在は老ノ坂トンネルに改名)、その扁額は今も残されています。
また、老ノ坂トンネルの南側には、明治以前に使われていた旧山陰街道が存在。かつては老ノ坂峠が丹波国と山城国(現在の京都府南部)の境だったため関所があり、参勤交代で大名が利用するための宿や茶屋があったそう。
明智光秀も、丹波国から京都へ行く際は頻繁にこの峠を越え、本能寺へ攻め込む時も通ったと言われています。
日本最古のレンガ造りの隧道「鐘ヶ坂隧道」
続いて2人は、兵庫県丹波市へ。そこでしか見られない貴重な道があると、松村さんは言います。
国道176号の脇にある旧道を進み、江戸時代まで旧山陰街道が通っていたという鐘ヶ坂(かねがさか)峠に到着。山の中へ入って行くと、現れたのは明治16年に造られた「鐘ヶ坂隧道」。
(道マニア・松村真人さん)
「これは、日本最古のレンガの道路トンネル。当時、レンガは最新の建築材料。鹿児島から職人を呼んで、この近くでレンガを焼いて組んでいった」
険しい山越えをしていた山陰街道の代わりの道として造られ、丹波市と丹波篠山市(ささやまし)の市境をまたぐ268mの隧道。日本で5番目に造られた道路トンネルとしても知られています。
鐘ヶ坂隧道は、日本の道路トンネルでは初めてレンガが使われた貴重な遺構。隧道を抜けると、工事に携わった人の名前や金額などが記された石碑が残っています。
総工費は、4万円(当時)。28万枚のレンガが使われ、工事には6万3千人もの人が携わりました。
(道マニア・松村真人さん)
「当時の4万円は、今でいうと8億円ぐらい。それよりももっと価値がある。丹波と京都を結ぶためには、これぐらいのトンネルが必要だった」
10月29日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より