地図にのらなかった“幻の道” 悲しい運命を辿った群馬県の山中に眠る「数坂隧道」とは
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴18年の石井あつこさんが、群馬県にある“地図にのらなかった幻の道”を巡ります。※廃道は許可を得た上で撮影しています。むやみに立ち入らないでください。
山中に眠る石造りの隧道を発見!
石井さんと一緒に旅をするのは、お笑い芸人のひょうろくさん。
(道マニア・石井あつこさん)
「群馬の中でも最も思い入れがある、地図にのらなかった幻の道を紹介したい」
石井さんが10年以上前に訪れてから、特に思い入れの強い場所になっているという廃道を目指します。
江戸時代以前から沼田市と福島県会津若松市をつなぐ重要な道として使われた「会津街道」は当時、「栗生(くりゅう)峠」「数坂(かっさか)峠」「椎坂(しいさか)峠」の3つの峠を越えるルートがありました。今回2人が向かうのは、特に人の往来が多かった「数坂峠」。国道120号を走り、「数坂峠」の“幻の道”へ向かいます。
廃道区間になっている山中には昔の道の名残があり、頭のない崩れかけの馬頭観音像も見られます。幅もあり、自動車や馬車が通れるようにと造られた平坦ラインを抜けると、石造りの隧道を発見!
明治時代に完成するはずだった“幻の道” 悲しい運命を辿った「数坂隧道」
山中に眠っていたのは、この廃道を語る上で欠かせないと石井さんが言う「数坂隧道」。
(道マニア・石井あつこさん)
「神殿のように造られたピラスター(付け柱)とアーチのデザインは見たことがない」
明治時代に完成するはずだった「数坂隧道」は、一体なぜ完成せず“幻の道”となったのか…?
(道マニア・石井あつこさん)
「この隧道は、廃道になってから崩れたわけではなくて、完成間近で崩れて放棄されてしまった」
自動車や馬車が普及した明治時代に入ると、「車道がくれば物流も発展して町が栄えると考えた当時の東村(あずまむら)村長・小林勘三郎さんが、私財を投じて新道を開削する工事の中心人物となって動き始めた」と石井さん。
しかし、「数坂隧道」は完成間際に崩落事故が起こり、復旧不可能になったため開通を断念。そのため地図にのることがなく、“幻の道”となったそう。
隧道入口の石には「明治二十七年九月」の文字が刻まれており、「おそらくその下に“完工”とか“竣工”の文字を入れるはずだった」と石井さんは言います。「数坂隧道」の反対側には、苔で覆われた扁額や、使われるはずだった切り出された石が放置されたままになっています。
「数坂隧道」崩落後、栗生峠に新道を開削!
「数坂隧道」崩落後、当時の村長・小林さんは、諦めずに「栗生峠」に新道を造ることを決意。多額の私財を投じ、大正9年に「栗生隧道」を完成させることができました。
しかし、開通間際に悲運に見舞われ…。
(道マニア・石井あつこさん)
「隧道ができるのを心待ちにされていた小林さんが、“栗生隧道”ができる数か月前に亡くなってしまい、新しい車道を見ることができなかった」
栗生峠に完成した新道は、その開通式が当時の新聞の記事になるほど、地元の人たちにとって重要な道でした。この新道開削の中心人物であった小林勘三郎さんは、功労者として讃えられ感謝状も贈られたそう。
石井さんの念願だった、道造りに人生を賭けた小林勘三郎さんのお墓参りをしたところで、道巡りの旅は終了です。
10月24日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より