【日めくりドラゴンズ】12月19日。誕生日を迎えた元CBC・久野誠アナウンサーが、思い出の実況を振り返る。
昨年、CBCを退職した久野誠さん。長きに渡ってCBC野球中継の実況アナウンサーとして活躍し、ドラゴンズを語る上では欠かせないアナウンサーの一人といえます。きょう66歳の誕生日を迎えた久野さんに、思い出の実況を振り返ってもらいました。
昭和63年10月7日ヤクルト戦、優勝決定の瞬間。
1988(昭和63)年10月7日のヤクルト戦。中日ドラゴンズが4度目の優勝を果たした試合の実況を久野さんは担当していました。
「優勝の瞬間を実況させてもらえる。どうにか上手く謳い上げたいという気持ちがあったから、前日から何を言おうかは考えていたんだよ。」(久野さん)
※ラジオ実況
《昭和63年、セリーグ制覇まであと1球だ。マウンド上、郭源治。落ち着いている。きょうの郭は落ち着いている。間合いを十分取っています。マウンド付近を見て、いまキャッチャー・中村とのサインの交換だ。左バッターボックスに秦が入っている。
ボールカウント2ストライク1ボールから、ピッチャー・郭、セットポジション。第4球を投げた!》
冒頭に”昭和63年”と、年号を入れたことにも考えがあったそうです。
「当時は天皇陛下が重篤な状況ということで、世の中は本当に自粛ムードでね。その社会情勢を言い表すためにも、昭和63年という言葉は意識して入れようと思っていたんだ」(久野さん)
※ラジオ実況
《空振り三振!試合終了!ドラゴンズ優勝!ドラゴンズ、6年ぶり4回目の優勝達成!
ナインがドッと集まった。長く苦しいペナントレースを戦い抜いた、歴戦の勇士たちが集まった。胴上げが始まった。星野監督、180cm83kg。胴上げだ。1回、2回、3回、4回!》
「ありがたかったのは、試合展開がワンサイドだったこと。落ち着いて優勝の瞬間を実況することができた。用意していたものを、すべて放送で出すことができたかなぁ。」(久野アナ)
この試合、中日は彦野の先頭打者ホームランと落合の3ランで、初回にいきなり4点を先制。その後も川又の3ランなどで得点を重ね、5回が終わって9-0。序盤から大量リードを奪い、あとは歓喜の瞬間を待つのみという展開でした。
一軍に出場した選手全員の名前を読み上げる
また、優勝を目前にした9回。久野さんは、この年一軍に出場した40人の選手すべての名前を読み上げています。
※ラジオ実況
《今シーズン、中日ドラゴンズは、のべ40人の選手を一軍で使いました。》
《ピッチャーは18人でした。みんなの力で勝ち得た、今年の勝利と、優勝と言えると思います。小松、杉本、鈴木孝政、川畑、郭、小野、田中、米村、鹿島、江本、近藤、三浦、都、宮下、高島、斉藤、上原、山本。以上18人です。》
《そしてキャッチャー3人。中村、大石、大宮。野手19人。彦野、立浪、ゲーリー、落合、宇野、中尾、川又、仁村弟、仁村兄、音、遠田、豊田、鈴木康友、片平、仲根、山田、小松崎、岩本、小森。以上40人による優勝が目の前です!》
この意図については、こう振り返ります。
「僕は、監督というのは2種類いると考えていて。選手を使うのが上手い監督と、選手を育てるのが上手い監督。星野監督は、その両方を兼ね備えた、稀有な存在だと思うんだよね。だから、昭和63年の優勝は、みんなの力で勝ち取った、全員野球だった、ということを言いたくて、この表現をしたんだ。」(久野さん)
最高の条件下で迎えた優勝の瞬間
1979(昭和54)年8月1日大洋戦の初実況から、数え切れないほどの試合を実況してきた久野さん。そんな中でも「いい中継ができた」と思うことは、ほとんどなかったそうです。
「失敗もたくさんしたし、もっとうまい表現があったはず、ああ言えばよかった、と思うこともよくあった。反省することの方が多かったよ。」(久野アナ)
そんな中でもこの試合については、”本拠地ナゴヤで優勝決定” ”(2位が敗れて試合中に決定などではなく)ドラゴンズの勝利の瞬間に優勝決定” ”最後のバッターが空振り三振”という3つの要素が重なり、「シチュエーションとしても最高で、自分の思い描いた通りに実況することができた」(久野さん)と話します。思えば、これまで9度あるドラゴンズの優勝の中でも、優勝決定の際にこの3つを満たしたのは昭和63年の一度だけです。
次は誰の声で
ドラゴンズが最後に優勝したのは2011年。遠ざかること7年。高校3年生だった少年がアナウンサーになり、こうしてドラゴンズに関するコラムを書くほどにまで、時間は経っています。ファンの待ち焦がれる10度目の優勝。その瞬間、実況マイクを握っているのは、果たしてどのアナウンサーなのでしょうか・・・