幻の巨大山車を再現!重さ約6tの“鉄の塊”を引き回す!?名物名古屋・熱田区「堀川まつり」
川面に浮かぶまきわら船に、夜空を彩る大輪の花火が上がる、名古屋市・熱田区の「堀川まつり」。この祭りの一風変わったシンボルには、時代とともに失われた伝統がありました。タレントの寺坂頼我くん(以下、寺坂くん)が取材しました。
まるで土木建築の足場!高さ約14mの巨大な山車
2日間開催される「堀川まつり」の目玉「まきわら船」の引き回しは、1年を表す365個の提灯が夕闇を照らし、優雅に堀川を渡ります。日暮れには、500発の打ち上げ花火が夜空を彩り、一足早い夏の訪れを告げます。
そして2日目の主役は、鉄で組んだ足場に、布を巻きつけた高い物体。この正体を実行委員長の神谷秀典さんに尋ねました。
(堀川まつり実行委員長・神谷秀典さん)
「一般的にいう山車という感じなんですが…動きます!」
山車といえば豪華な櫓(やぐら)に木造の車輪というイメージ。しかし、こちらは車輪部分に自動車のゴムタイヤが付いていました。祭り1週間前から山車の組み立て作業が始まり、手際よく組みあがっていく様子は、まるで工事現場のようです。
鉄の山車を制作した仕掛人は、「堀川まつり」の初代実行委員長・川口正秀さん。完成するまでには、長年にわたる苦労がありました。
「日本一の山車を再現したい!」過去の記録をもとに挑戦
きっかけは、1989年に名古屋で開かれた「世界デザイン博覧会」。尾張の山車やからくりの文化を伝えるパビリオンを訪ねた川口さんは、かつて熱田に存在したという巨大な山車のグラフィックに目を奪われました。
今から約1000年前、疫病退散を目的に始まったとされる「熱田天王祭」には、江戸時代に「大山」と呼ばれる、高さ約20mの日本一大きな山車がありました。しかし、明治時代に入ると町に電線が張り巡らされ、引き回しの伝統は潰えました。
(堀川まつり 初代実行委員長・川口正秀さん)
「こんなとてつもない物がここ(熱田)にあったことを、初めて思い知らされた。これ(大山)がなくなったのが惜しいなと」
「日本一の大山を再現したい」と決意した川口さんでしたが、木で作るには多額の費用が必要でした。しかし「木がダメなら鉄があるじゃないか」と、建築士でもある川口さんは、地元の仲間と一緒に、鉄骨を使った大山作りに着手。試作を作り続けること4年、ついに20mの骨組みが完成し、鉄骨を色とりどりの布で覆われました。2010年に引き回しが実現した時には、川口さんの構想から20年の月日が経っていました。
重さ約6tの山車が大回転!驚きの方法とは?
引き回し当日、出発前に突然の豪雨が降り、残念ながら道路での引き回しは中止になりました。
(堀川まつり実行委員長・神谷秀典さん)
「駐車場の中でだけでも動かそうかと思いますので。(中止の選択肢は)ないです!少しでもやります!」
天気が回復し、駐車場内で大山を動かすことになりました。掛け声とともに大山を引くと、ゴムタイヤなだけに動きはスムーズです。駐車場の中央に止めると、ベニヤ板を車輪の前に敷き、6tの大山を堀川の方向に回転する準備を始めました。
(堀川まつり 初代実行委員長・川口正秀さん)
「ヒュッと回るんですよ」
祭り関係者の男性が、ボトルに入った謎の液体を、板の上やタイヤに直接かけ始めました。液体の正体は「食器用洗剤」。タイヤを洗剤で滑らせながら、約1時間かけて大山の向きを変えました。
今回、寺坂くんが「ベストオブOMATSURIちゃん」に選んだのは、「堀川まつり」の初代実行委員長・川口さんと、現実行委員長・神谷さん。2人の手形が、法被に刻まれました。
(堀川まつり 初代実行委員長・川口正秀さん)
「(大山を)木造化することね。今はまだ夢物語かもしれないけど、夢は見ないとかなわないので」
(堀川まつり実行委員長・神谷秀典さん)
「自分が生きているうちになんとか(大山の木造化を)見たい。プレッシャーを感じながらも精進します」
木造の大山が、新たな名古屋の名物になる日も遠くないかもしれません。
CBCテレビ「チャント!」6月12日放送より