誰かに話したくなる!国会議員と選挙にまつわるあれこれ〜知れば知るほど深い世界(2)

誰かに話したくなる!国会議員と選挙にまつわるあれこれ〜知れば知るほど深い世界(2)

【国会議員の位置づけ】

 連載第1回は、日本国憲法ができるまでのお話を中心に書きました。

 さて、新しい憲法では、主権者が天皇陛下から国民にかわりました。

 明治憲法で主権者は天皇陛下一人でしたが、たくさんいる日本国民が主権者となったことで、国の運営をどうするかが問題になります。

 そこで、国会議員が登場します。明治憲法でも国会議員がいたではないか、との声が聞こえてきそうですが、実は、憲法がかわったことによって、国会議員の位置づけもかわっているんです。

 いまの憲法には前文があって、その冒頭に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(日本国憲法前文)」とあります。

 そうです、「主権者である国民の代表者として行動する人」が国会議員なのです。これに対して明治憲法下の国会(帝国議会といいました。)の議員は、基本、天皇主権のもとで、例えば、政府が提出した法律案や予算案に協賛するなどの立場にとどまりました。

 今の国会議員は国民の代表者というだけではありません。日本の行政のトップはもちろん内閣総理大臣ですが、今の憲法に「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。(憲法67条)」と書かれています。

 内閣総理大臣の有資格者は国会議員であり(衆参どちらも対象となりますが、参議院議員の資格で総理になった人は、まだいません。)、国会議員の互選で選ばれるということです。

明治憲法下では、内閣がかわる時には、天皇陛下が元老とよばれる重臣の意見をもとに、次期総理大臣の候補者を指名して組閣を命じていました。これを大命降下といいます。

総理大臣の選び方も今とは大きく違いますね。

【国会議員選挙の意味】

 今は国会議員の中から総理が選ばれる、議院内閣制だからそんなのあたりまえだ、と、いわれそうですが、ちょっと考えてみてください。

 わたしたち有権者が、選挙で国会議員を選ぶということは、地域の代表者にふさわしい人や、これからを託せる政党などを選ぶ、だけではなくて、内閣総理大臣の候補者になるかもしれない人も選んでいることになります。

 さらに、特に衆議院総選挙、それに参議院通常選挙という大きな国政選挙の場合、総選挙では議員全員が選挙され、参議院通常選挙も、議員全体の半分が選挙になります。

今説明したように、国会議員は、総理大臣の候補であり、それを選ぶ人ですが、これら規模の大きな選挙の結果で、衆議院や参議院の国会議員の構成自体が大きくかわる可能性があり、そのことよって、総理大臣がかわるかも知れないのです。

ですから、これらの大規模な国政選挙では、有権者は、それぞれの選挙区などでの選択の積み重ねによって、だれが総理大臣になるのか、間接的に選んでいるともいえるでしょう。

 総理大臣を選ぶ仕組みは、いずれ紹介しますが、国会議員の選挙での有権者の選択が、国のありようを決める、と、第1回の冒頭に記したのには、そんな意味もあります。

【「憧れ」と「象徴」と~今の天皇制をめぐって】

CBCテレビ:画像『写真AC』より「選挙の様子」

 国民が主権者となった今の憲法では、天皇陛下は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(憲法1条)」とされています。

 第1回に書きましたように、それまでの明治憲法では天皇陛下は、統治権の総攬者、日本の唯一の主権者ですから、憲法改正の議論の中で、この象徴とは何を意味するのかが、大変な議論となりました。

 ここで、金森徳次郎さんという当時の吉田茂内閣の憲法改正の担当大臣が登場します。憲法改正が議題となった1946年6月25日の帝国議会本会議で、天皇制をめぐって次の答弁をしました。

「謂はば天皇を以て憧れの中心として國民の統合をなし、其の基礎に於て日本國家が存在して居ると思ふのであります」。

天皇陛下は日本国民の「あこがれ」の中心である-この答弁は新たな象徴天皇制に対する疑問を抑えた歴史的名答弁とされ、その後も現在に至るまで、国会の質疑の中で度々引用されています。

ところで、この答弁、国立国会図書館が公開している国会会議録検索システムで検索して引用しました。今は、基本、明治憲法下の帝国議会から、今の国会にいたるまで、このシステムを使うと、国会のやり取りを簡単に引き出すことができるのです。便利な時代になりましたね。

今の天皇制についてもう一つ。今の憲法を作るにあたっては、吉田茂さんの前の総理大臣、幣原喜重郎さんという元外務官僚が大きな役割を果たしています。

幣原さんの回顧録「外交五十年(中公文庫)」という本の中に、象徴(注記:英語ではsymbol)という言葉は、イギリスの法律の中に、イギリス国王は英国連邦の国の主権の象徴という表現があり、「そこから得たヒントであった。」というくだりがでてきます。

10年ほど前、新幹線で乗り合わせたアメリカ人と、ひょんなことから日本の憲法の話になり、象徴とはなんだ、日本的でよくわかないと聞かれました(わたくしの英語力の限りの理解ですが)。

そこで、幣原さんの本のことを思い出し、世界的に見て象徴という表現はなにも特殊なことではない、あのイギリスの法律にも出てくるのだ、という説明を必死にしました。

わたくしの英語力のなさの問題が大きかったと思いますが、お相手のアメリカ人は、わかったのかわからないのか、「ふーん」という感じ、ところが、それを書き残したのが、プライミニスター(=総理大臣)、バロン(=男爵)、シデハラだと言った途端、「オー、バロン、オー、クール(=かっこいい)!」。

少なくとも、シデハラという総理大臣が男爵だったことだけは伝わりました。(憲法改正前ですから、まだ爵位制度はあったのです。日本国憲法の原文にも幣原喜重郎の墨痕鮮やかな自署の上に「男爵」の記載があります。)

今回は以上となります。以下次号

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