The Beatles 来日50周年に想う「Love&Peace」
後藤克幸
1966年6月29日。
CBCが招へいしたビートルズが羽田空港に到着。
4人は、はっぴ姿でタラップを降り笑顔でファンに手を振った。
7月2日の帰国まで5日間の短い滞在中、
日本武道館で5回のライブコンサート。
来日記者会見の記録を改めて読んでみて、
興味深いやり取りに気づいた。
(記者)あなたたちは、すでに名誉と財産を得たと思いますが、
次は何を望みますか?
ジョン;平和。
(記者団が爆笑)
ポール;ぼくも、平和。
ジョン;平和 と・・・
ポール;平和 と・・・
ポール;原子爆弾を禁止しようよ!
ジョン;そう、原子爆弾の禁止!
というくだりが記録されていたのだ。
記者が「名誉と財産を手に入れたあなたたちは、次に何を望むの?」と
質問したのに対して、ジョンが「PEACE!」 と答えたとき、
記者団から大きな笑いが起こった。
質問の趣旨とその場の空気から考えると、
記者たちは、おそらく「PEACE!」という言葉を
「静かな生活(を送りたい)!」という意味に解して、
そのユーモアに思わず爆笑したのだろう。
でも私は、
ジョンとポールは、そういう意味も込めたかけ言葉として「PEACE!」と
ユーモアをこめて答えたけれども、実は、
大真面目に「平和!」と言いたかったのでは、とも思う。
その根拠は、
二人は即座に、「PEACE and・・・」と続けて、
ポールが示し合わせたように「原子爆弾を禁止しよう!」と発言。
さらに、同じ記者会見の中の別の質問では、
こんなやり取りもあるからだ。
(記者)ベトナム戦争について関心はありますか?
ジョン;毎日そのことを考えているよ。
この戦争には賛同できないし間違っていると思う。
ビートルズの来日は、1966年。
翌1967年に「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」を発表。
1968年には、ジョージ・ハリスンも、
彼の出世作でエリック・クラプトンとレコーディングで共演した名曲
「While My Guitar Gently Weeps」で反戦へのメッセージを歌った。
ビートルズは、1966年6月29日の来日記者会見で、すでに、
「Love and Peace」のメッセージを私たちに発信していたのだ!
沖縄へ旅行されるなら・・・
後藤克幸
夏休みに、もし沖縄へ旅行される方がいらっしゃいましたら、ぜひたくさんの方に訪問してほしいと思うのが、『旧海軍司令部壕跡』です。那覇空港から車で15分ほどの所にあります。沖縄戦で、日本海軍が、激しいアメリカ軍の攻撃に抵抗して持久戦を続けるために地下壕を掘って司令部を置いた場所で、今は、地下壕の中に、悲惨な戦争の実情を伝える様々な資料が展示されています。この中でも、特に、心を打つのは、当時の司令官が海軍本部にあてて打った『沖縄県民かく戦えり』という電報文の展示です。
沖縄県民は、青年も老人も女性もみんな防衛戦に駆り出され、砲爆撃の下でさまよい、看護婦も身寄りのない重傷者を助けて一緒にさまよい歩いています。沖縄の実情は言葉では形容できません。一本の木、一本の草さえすべてが焼き尽くされて食べ物もありません。沖縄県民かく戦えり。県民に対して、なにとぞ後世特別のご配慮を賜りますようにお願いします・・・と書かれていました。
"沖縄に後世特別のご配慮を"・・・。司令官のこの悲痛な叫びは今、どこに・・・?
「リアルな映像」考〜キノコ雲の下から考えるということ
横地昭仁
「キノコ雲の下」という言葉に強いインパクトをうけました。3月23日に日本記者クラブで開かれたパグウオッシュ会議と核廃絶がテーマの記者会見で出た言葉です。
パグウオッシュ会議は、冷戦時代の1957年、核兵器の開発に携わった東西の科学者らがカナダのパグウオッシュに集まって、核廃絶と科学者自身の責任について話し合ったのがはじまりで、それから折に触れて世界大会を各地で開き、核廃絶に向けた提言をしています。ノーベル物理学賞を受賞した科学者らも参加し、日本も批准しているNPT=核兵器不拡散条約にも影響を与えたとされ、パグウオッシュ会議自体がノーベル平和賞を受けています。
戦後50年、60年、つまり広島・長崎に原爆が投下されて50年、60年の節目の年には世界大会が広島で開催されましたが、70年の節目の今年は11月1日から5日まで「被爆70年:核なき世界、戦争の廃絶、人間性の回復をめざして」をテーマに世界大会が長崎で開催されることになり、この日の記者会見は、長崎大会に携わる日本の3人の学者(写真左から大西仁東北大学名誉教授、小沼通二神奈川歯科大学理事、鈴木達治郎長崎大学核兵器廃絶研究センター教授=組織委員会委員長)が意義やねらいを説明しました。
キノコ雲の下という言葉は、95年の広島宣言に盛り込まれた言葉です。核の廃絶に背を向けるならば、「キノコ雲の下で夥しい数の人々が消滅する事態が、またしても起こりうる」と記されました。
世界中の歴史教育で使われる教科書には、原爆を説明する資料として、上空から、つまり投下した側から撮影されたキノコ雲の写真が使われているといいます。確かに被爆国の日本でも、原爆の写真を一枚だけあげるとしたらキノコ雲になるのかもしれません。しかし、そのキノコ雲の下でどんな現実があったのか、投下された側の視点でそれを語り継ぎ、そこに思いを致すことが核兵器の問題を考える上でとても大切、今回、被爆地長崎で開催される意義の一つもそこにあるというのです。
重い言葉でした。報道番組でも、よくキノコ雲の映像を使いますが、核兵器の象徴として安易に使っていないのか、大いに考えさせられました。
さらに、最近の傾向として、映画やゲームなどで終末戦争などをうたった一見リアルなCG映像が氾濫しているが、核兵器がもし今使われるとどんなことが起こるのかを、こうした映像があふれる中で、どうやって描いていくのかが、重い課題だという趣旨の発言もありました。
象徴的な映像が現実のすべてを表すわけではありません。まして、いくらリアルであっても作り物の映像には限界があります。自らの表現の幅を狭めるということでは、決してありませんが、技術の進歩で様々な映像を作成できるようになった今だからこそ、私たち報道に携わる者は、厳粛な気持ちで、現実に強くこだわり続けないといけないと感じました。
超高齢社会の在宅医療
後藤克幸
論説室・CBCラジオ・名古屋大学医学部の共催による健康シンポジウム「超高齢社会の在宅医療」が3月7日、CBCホールで開催されました。医療現場と市民社会の情報共有を深め、医療に関する的確な知識を届けるラジオ番組として、「広瀬隆のラジオでいこう!」7時台コーナー『健康ライブラリー』を2年間続けてきました。放送で発信してきた身近な健康情報の中から、超高齢社会への対応として国の医療政策が急速にシフトしている「在宅医療」をシンポジウムのテーマに選びました。
第1部は、在宅医療に積極的に取り組まれている、あいち診療会の内科医、野村秀樹先生が講演。野村先生は、実際の診療現場での事例を具体的にあげながら、◆在宅医療を受けるための基礎知識◆納得のいく在宅医療を受けるためのアドバイスなどについて、わかりやすい語り口で説明しました。
第2部は、パネルディスカッション。在宅医療の現場で活躍するさまざまな専門家、医師、看護師、薬剤師、ケアマネジャー、社会福祉士が◆病状急変の不安◆介護家族の重い負担◆老老介護の破たん・・・などの難しい課題をどう解決していけばよいのかについて話し合いました。
このシンポジウムの内容は、CBCラジオのホームページに詳しく掲載していますのでご覧ください。
https://hicbc.com/radio/hirose/kenko/150307_event.htm
老老介護
厚労省の調査によると、30年ほど前は65歳以上のお年寄りがいる世帯の45%が親・子・孫の3世代で暮らしていた。大家族が多数派だった。ところが、現在は、三世代世帯は13%と少数派。
逆に、夫婦のみのいわゆる老老世帯と一人暮らしの人を合わせると56%。半数以上を占めている。
3世代世帯が多数派だった時代には、家庭の中に介護力があった。しかし、今は、穏やかに暮らしていた夫婦のどちらかの病状が急変して入院したりすると、老老介護は突然崩壊してしまう。核家族時代、子どもたちは親とは離れた所に住んで家庭を持ち仕事をしている。老老世帯、独居世帯が中心となった現代、お年寄りが住み慣れた自宅で生活を続けるには、訪問診療、訪問看護、訪問歯科診療、ヘルパー、入浴サービスなどの介護サービスの手を借りることが必要となる。老老介護の最大の不安はやはり病状の急変。超高齢社会を支える新しい在宅医療の仕組み作りが喫緊の課題だ。