2017年10月

カタルーニャその危険な火種

北辻利寿

2017年10月31日

クレマカタラーナ(crema catalana)という菓子がある。

スペインのカタルーニャ州の名物菓子で、カスタードクリームを固めて表面を焼いてある。バルセロナを訪れた時にデザートに注文したのだが、フランスの菓子・クレームブリュレと似ていた印象だった。

香ばしい味を楽しみながら、バルセロナはスペインにありながら、実はほとんどフランスに近い街なのだと実感したことを思い出す。

 

そのバルセロナを州都に持つカタルーニャ自治州を世界が見つめている。

その行方を心配しながら・・・。

ちょうど1か月前になるが、10月1日、カタルーニャ自治州で独立の是非を問う住民投票が行われた。

その結果、独立賛成の票は90%に達したのだが、この動きに対してスペインの中央政府は即座に「投票は違憲である」との姿勢を打ち出した。

 

その後、ラホイ首相はカタルーニャ自治州の自治権停止と州議会の解散を宣言したが、

自治州のプチデモン首相は猛反発、州議会は一方的に独立宣言を可決した。

10月27日になって政府は、州議会の解散と新たな議会選挙を12月に実施すると発表し、州の自治権を停止し、プチデモン氏も首相を解任された。反逆罪に問われる動きもある。

一方でカタルーニャ自治州が独立に向けて一枚岩かと言えばそうではない。

住民投票の投票率は43%に留まっていて、独立反対派は棄権したと見られている。

この週末もバルセロナでは独立に反対する市民たち30万人によるデモが行われ、「スペイン万歳」と叫び、スペインは1つであると訴えるなど、カタルーニャをめぐる混乱は収まっていない。

しかし、ヨーロッパで起きているこの事態に、EU(ヨーロッパ連合)はスペイン政府を支持しながらも静観を続けているように見える。

 

古い歴史を持つヨーロッパでは、各地で独立への火種がくすぶっている。

かつて特派員として、旧ユーゴスラビアでセルビアからの独立をめざしたコソボ自治州を取材した時も、中東のパレスチナを取材した時も、歴史と現実の狭間で苦悩する人々の何ともやるせないパワーを感じた。

そこには哀しさが漂っていた。

今も英国はスコットランドの独立問題を抱え、ベルギーでもフランドル地方がフランス語圏とオランダ語圏に揺れている。

17州の1つにカタルーニャを持つスペインにはもう1つ、停戦を宣言したもののかつてはテロ活動を繰り返したバスク自治州もある。

今回のカタルーニャ自治州の独立問題が、他への連鎖を巻き起こすことをヨーロッパ全体が恐れている。

 

スポーツの世界にまで影響は及んできている。

「FCバルセロナ」に所属するジェラール・ピケ選手が独立支持をツイッターで表明、代表チームから外れるか否かという騒ぎにまで発展した。

また、カタルーニャの地元チーム「ジローナ」が首都マドリードの強豪「レアル・マドリード」を破った際には、中央に一矢報いたと街は大騒ぎになったと現地からの報道は伝えている。

20世紀末にコソボ自治州の独立をめぐり、セルビア共和国に対しNATO(北大西洋条約機構)が空爆を実施した時、Jリーグ名古屋グランパスに所属していたセルビア出身のドラガン・ストイコビッチ選手は「空爆をやめろ!」と英語で書いたシャツをピッチで見せてアピールをしたこともあった。

緑の芝生に似合わない悲しい場面だった。

 

ヨーロッパでは独立問題だけではなく、難民問題も解決されていない。

10月、オーストリアでは国民議会の選挙結果で、難民に厳しい政策を求める国民党が第一党になった。

9月にはドイツの下院選で極右政党が議席を伸ばした。

英国のEU離脱決定も難民への対応が1つの要因でもあったように、「ヨーロッパはひとつ」を謳い文句に実現したEUが直面するテーマは山積みである。

だからこそ、カタルーニャ問題に対して、EUの静観はありえないのではないだろうか。今回の独立騒動には歴史と共に経済問題が大きな理由となっている。

カタルーニャはスペインの中でも経済的に優位であり、自分たちが国を支えているという強烈な自負もある。

EUが経済圏としての一体を主張するならば、カタルーニャの独立問題をスペインだけの国内問題としてはいけない。

ヨーロッパ全体の問題として、本腰を入れて向き合うべきであり、今こそEUの積極的な動きに期待したい。

 

バルセロナの町には、カタルーニャ出身の建築家アントニオ・ガウディが残した教会や公園などの名所と並んで、ピカソ美術館がある。

館内にはピカソが、同じくスペインが生んだ画家ベラスケスの名画「女官たち(ラス・メニーナス)」を自分なりにアレンジした連作シリーズが展示されている。

ベラスケスの絵はマドリードのプラド美術館に、そしてピカソの絵はカタルーニャのバルセロナに・・・。

2つの都市は二人の画家の絆によって結ばれている。

東西南論説風(17)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

【画像】

※足成

ドラフトの神様が微笑んだ相手

北辻利寿

2017年10月27日

ドラフト会議の会場で"野球の神様"が微笑む瞬間を見た。

プロ野球ドラフト会議が開催されたホテルに一歩足を踏み入れた時、突然の熱気に身体が包まれた。
「清宮ドラフト」と言われるように、2017年ドラフト会議は、高校通算111本塁打を記録したスラッガー清宮幸太郎選手(早稲田実業)に何球団の指名があるのか、そして、どこのチームが獲得するのか、この一点に日本中の関心が集まっていた。
その熱気は会場だけではなく、ホテル全体に充満していた。
結果は7球団が1位指名をして、北海道日本ハムファイターズがクジを引き当て、スーパースターの交渉権を獲得した。

日本ハムのドラフト戦略は一貫している。
「その年の一番いい選手を指名する」・・・この方針に揺るぎはない。
2004年(平成16年)のダルビッシュ有投手から始まり、2007年は中田翔選手、2010年は斎藤佑樹投手を指名して獲得。
2011年には入団しない意向を伝えられながらも果敢に菅野智之投手を指名して、抽選に勝ったものの入団拒否を受けた。
それでも翌年、メジャー志向で各球団が敬遠した"二刀流"大谷翔平選手を指名して入団させたことは記憶に新しい。
そして今回も・・・。
日本ハムの木田優夫GM補佐が抽選に勝ち、高く手を上げた時、会場には「やっぱり日本ハムか」というどこか納得した空気が流れた。チームの潔さに"野球の神様"はまたしても微笑みを返した。
期せずして栗山英樹監督も語った・・・「野球の神様が大切な宝物を預ける決断をして下さった」。2017年ドラフトも歴史に新たなドラマを刻んだ。

これまでもドラフト会議は過去に数々のドラマを生んできた。
まず思い出されるのは江川卓投手である。
高校時代も大学時代もドラフトの舞台でその進路に注目が集まったが、讀賣ジャイアンツが強硬に入団を進めた1978年(昭和53年)のいわゆる「空白の一日」は、ドラフト会議はもちろん、プロ野球史に残る出来事だ。
PL学園のKKコンビ、桑田真澄投手と清原和博選手の入団をめぐる一幕も今なお印象に残っている。
近鉄バファローズ(当時)の佐々木恭介監督が、清宮選手と同じ7球団のくじ引きの末、PL学園の福留孝介選手を引き当てた「ヨッシャー!」という雄叫びも耳に残っている。数え上げればキリがない。

ドラフト会議は新戦力を獲得する場であると同時に、球団をアピールする場としても捉えることができる。
特に1位入札と指名の瞬間がテレビの地上波で生中継されるようになってからは、その意味合いも増している。
最近では、ソフトバンクホークスの工藤公康監督。2015年は3球団競合の高橋純平投手、そして1年前の2016年は5球団競合の田中正義投手の当たりクジを見事に引き当てた。全国の野球ファンにチームの勢いを見せつけた。
中日ドラゴンズで言うならば、1986年(昭和61年)ドラフトで監督に就任したばかりの星野仙一さんが、5球団が競合した地元の近藤真一投手を引き当て、高らかにガッツポーズをした場面が思い出される。
チームはあの勢いそのままに2シーズン後にセ・リーグ優勝をした。
今回のドラフト会議で清宮選手を1位指名した日本ハムは、7位では東京大学法学部の宮台康平投手を指名して、これも大きな話題になった。
球団アピールとしては大成功のドラフト会議だったと言えよう。

ずっと言われ続けている言葉だが、上位指名の選手が必ずしも活躍するとは限らないのがプロ野球の世界。
スカウトの目利きの次は、育てるコーチの手腕、起用する監督の采配、そして何より選手本人の自覚と努力。
一流のプロ選手が生まれるためには、こうした複合要素が成就する必要がある。
ドラフト会議はあくまでもスタートラインである。

中日ドラゴンズにとって今回はどんなドラフトだったのだろうか?
1位指名の抽選では甲子園のスター中村奨成捕手を獲得することはできなかった。
球団の勢いをアピールすることはできなかったが、ドラフト前に1位指名候補として挙げていた5人の内2人の投手を、1位と2位で獲得できたことは大きな収穫だった。
森繁和監督のインタビューを間近で聞きながら、監督が本心から欲しかったのは、代わりに1位で獲得できたヤマハの鈴木博志投手だったのではと確信した。
その鈴木投手には、かつて同じドラフト1位で活躍した与田剛投手(現・楽天コーチ)のように、抑え投手として開幕から活躍してほしい。
そしてすべて高校生だった残り5人の指名選手たち。5年連続Bクラスと苦しむドラゴンズには勢いのある若い力が必要である。
2~3年後など悠長なことは言わず、いきなり飛び出してきてほしい。

"野球の神様"は普段はドラフト会議の会場にはいない。
グラウンドでひとりひとりの選手を見守っている。それは全国各地の野球場で、そして、もちろんナゴヤドームでも・・・。

【東西南北論説風(16)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

総選挙は誤算の"嵐"だった

北辻利寿

2017年10月24日

実に不思議な総選挙だった。

10月22日に投開票が行われた第48回衆議院議員総選挙は、これまで経験したことがない様相を見せた。

キーワードをひとつ選ぶならば「誤算」。

それはマイナス面だけではなく、「思いもかけないことが起きる」という意味を含めてである。

「誤算」をキーワードに振り返ってみた。

 

9月1日に行われた民進党代表選、それを経て安倍晋三首相は臨時国会での衆議院解散を決意する。

解散を表明する日、記者会見の3時間ほど前に、小池百合子東京都知事が新党「希望の党」の立ち上げと自らの代表就任を発表した。

会見の前にまず上野動物園のパンダの赤ちゃん名前発表に続けて・・・という周到に舞台を整えた上での発表だった。

すでに小池新党の準備は進んでいたが、まさか総理記者会見の直前にそんな動きが来るとは・・・。

首相にとって最初の「誤算」と見る。

 

9月28日の衆議院解散に合わせて、今度は民進党の前原誠司代表が、党の公認は出さず、全員で「希望の党」へ合流することを電撃的に発表。

自民党のある幹部によれば、党内には相当な衝撃が走ったと言う。就任したばかりの前原代表が、ここまで思い切って政権交代をめざす行動に出るとは・・・これも安倍首相と自民党の「誤算」と見られていた。

政局を取り巻くムードは一気に高揚感を増した。

 

しかし、小池代表の2つの言葉で、「誤算」のカードは自民から希望へと移った。

合流しようとした民進党議員について小池代表が語った言葉・・・「全員を受け入れる気はさらさらない」「排除します」。

この「排除」という言葉を聞いた時、7月に行われた東京都議選の応援演説で、自分へのヤジを飛ばす一部聴衆に対して安倍首相が「こんな人たち」と言って批判を浴びたことを思い出した。

「さらさらない」「排除」この2つの言葉によって明らかに潮目は変わった。

希望の党へ合流できない民進党議員たちは、枝野幸男議員を代表とする立憲民主党を結党した。

さらに小池代表の側近・若狭勝氏が「政権をめざすのは次の次」的な発言をして、希望失速の一因にもなった。

 

攻守それぞれが「誤算」を繰り返した選挙前半戦は、まるで一手によって白黒が一気に逆転するオセロゲームを見ているようだった。

これまでも国政選挙を取材してきたが、大きな枠組がほぼ固まってから選挙戦がスタートしていた。

しかし、今回のように政策論争に至る前に、これほどめまぐるしく選挙の図式自体が変わるとは・・・これも「誤算」か。

 

選挙後半戦は、自民党が安定した支持を獲得した一方で、希望の党は首班指名を誰にするか示すこともなく支持を伸ばし切れない。

そんな中、いわゆる"排除された"側である立憲民主党の勢いは急加速する。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬も有り、と言われるが、枝野代表にとっては、プラスの意味での「誤算」だったであろう。

しかし、投票の末、比例代表東海ブロックで5議席分の票を得たのだが、重複立候補者の内2人が小選挙区で当選したため、候補者の数が獲得議席に足りなくなり、立憲民主党の比例当選者は4人になった。

1議席分はルールで自民党に移った。

もう少し候補者を増やして擁立しておけば・・・。

これもここまで支持を集めて勝つと思わなかった立憲民主党の「誤算」。 

 

今回の総選挙の「誤算」は当事者である党や候補たちだけではなかった。

各地の選挙管理委員会にもあった。

投開票日に超大型で非常に強い台風21号が日本列島に近づく予報となり、期日前投票をする人の数が激増した。

名古屋市内のある区役所でも投票に訪れた人が長蛇の列を作り、「1時間待ち」の状態があった。

期日前投票でこれほどの殺到はこれまで例がなかったとは思うが、投票部屋の廊下どころか建物にすら入りきれない有権者に対して「可能な方はもう一度出直して来て下さい」と職員が呼びかけていた。

投票所に来た人の中にはあきらめて帰ってしまい、結局は投票を断念した人もいたと聞く。過去最低の投票率だった前回に続き、今回も悪天候だったとはいえ投票率が53.68%と過去2番目の低さだっただけに、期日前投票所での飽和状態は残念な「誤算」だった。

 

「誤算」続きだった選挙の締めは本物の"嵐"、投票当日の台風襲来である。

投票所周辺の道路が冠水、停電で投票不可能、さらに離島の投票箱が回収できなくなるなど、かつて経験したことがない数々の事態によって、一部の開票作業が翌日に持ち越された。

すべての議席が確定したのは翌日月曜日の夕刻だった。

「誤算」続きの総選挙は最後まで計算通りにはいかなかった。

 

「一寸先は闇」とも言われてきた政治の世界。

総選挙が終わり、再び日本の政治が本格的に動き出す。消費増税、安全保障、改憲問題、原発など将来へ重要テーマは多い。

ここでの「誤算」は決してなきように願うと共に、私たちはその行方をしっかりと見守る必要がある。                           

東西南論説風(15)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

ナゴヤドームへ行こうよ!

北辻利寿

2017年10月23日

メジャーリーグでのプレイ経験もある中日ドラゴンズOBでプロ野球解説者の川上憲伸さんが、こんな話をしてくれた。

「アメリカの野球場はまったく野球を知らない人が半分いても楽しむことができる」と・・・。

 

2017年プロ野球ペナントレース公式戦が終わった。

ドラゴンズの本拠地ナゴヤドームの観客数は、NPBの資料から算出すると全69試合で197万4724人。

2年連続で200万人を割った。

今から21年前にオープンしたナゴヤドームは、最初の年である1997年(平成9年)には全64試合で252万人がつめかけた。

これを最多としてその後は年によって数にばらつきはあるものの全体としては減少し、今季は1試合の平均観客数が2万8619人とナゴヤドーム開場以来、最も少ない数字となった。

ドーム初年度から1万人余りも少なくなっている。

7月には3試合で2万人を割り、その内の1試合が人気の讀賣ジャイアンツ戦だったことには衝撃が走った。

ドラゴンズは今年で5年連続Bクラスと低迷しているが、この5年間200万人を超えたのは2015年の一度だけとあって、チーム成績はもちろん影響している。

しかし、落合博満監督に率いられた2004年(平成16年)からの8年間、4度のリーグ優勝を成し遂げAクラスからも一度も落ちなかったいわゆる"黄金時代"でも観客数は飛躍的に伸びなかったのだから、一概にチーム成績だけが理由とも言えないのだろう。

 

思い起こすのは、2009年(平成21年)、かつての広島球場が「Mazda Zoon-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)」として生まれ変わった今から8年前のことである。

パーティデッキには「焼き肉テラス」が作られ、バーベキューを楽しみながらゲームを観戦できる趣向なのだが、長年のプロ野球ファンである私は「神聖なプロ野球の試合を焼き肉バーベキューしながら見るなんて・・・」とかなり冷めた思いであった。

しかし、今日のカープ人気そしてマツダスタジアムの大入り満員を目の当たりにするにつけて、自分の考えは時代の流れから見れば古かったのだと思っている。

 

このように、メジャーだけでなく日本におけるプロ野球の球場は大きく変貌している。

ソフトバンクやDeNAも本拠地球場を買収して観客サービスに乗り出した。

東北楽天イーグルスの「koboパーク宮城」は広島と同じバーベキュー施設に加え、観覧車まで併設している。

まるで遊園地だ。

日本ハムは新球場計画を進め、そこでは商業施設や飲食街などを設けて野球観戦以外にもファンに楽しんでもらう「ボールパーク構想」を持っている。

こうした動きは、川上憲伸さんが語ってくれたメジャーの球場とマッチしている。

「野球を知らない人が半分いても楽しむことができる」のだ。

 

ナゴヤドームも2017年シーズンに"セ・リーグ本拠地球場では最大のスケール"を売り物にした巨大ビジョンを新設した。

横幅が106メートルのため「106ビジョン」と名づけられたスクリーンは、3つの画面を駆使して今季の観戦を楽しませてくれた。

人工芝をより濃い緑色に張り替えたり、カラフルな演出ができるようアリーナ照明をLED化したりする来季への改修計画もつい先日発表された。

しかし、「106ビジョン」もあまり大きな話題になったとは言えない。

映像の質量が明らかに画面の大きさに負けていた。

フルハイビジョンであるこのスクリーンで上映される映像を観るためだけでも入場料を払いたくなる・・・ここまで突き抜ける発想はなかったのだろうか。

 

一方で、観客動員はドーム施設側だけの責任ではない。

球団と選手たちにもかかっている。

グラウンドでのエキサイティングなプレイは理屈なしにファンの心に刺さり、ファンを球場に招く。

そしてプレイと同時に、グラウンド外におけるファンへのアピールも大切だ。

名古屋市営地下鉄の駅からナゴヤドームにつながるコンコースの壁には、毎年、すべての選手の大きな写真パネルが飾られる。

先年『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』という本を出版する機会に恵まれ、その中で「なぜ選手一人一人が自分のパネルにサインをして、ファンへのメッセージを書かないのか」と訴えたところ、球団トップの"鶴の一声"によって、2016年シーズンは各選手のサインが書き込まれた。

ひとりのファンとしては光栄な驚きだったが、今シーズンになりパネル写真が新しく貼り返られるとサインは姿を消した。

時のトップから言われたからやった・・・ではあまりに寂しいことであり、選手それぞれが自主的に動いてもしかるべきことだと思った。

ヒーローインタビューでは毎回どの選手も必ず「応援に来て下さい!」と呼びかけているのだから。ファンにとって選手からのアプローチは心から嬉しいものなのだ。

 

そして、施設側、選手側と共に、何よりこのファンの力も欠かせない。

現役時代の落合博満さんがこんなことを言っていた・・・「オレは日本に12しかない会社に選ばれた社員だ」と。

だからこそ強いプライドを持って仕事しているという意味だったのだが、この12しかない会社、すなわち12のプロ野球チームがある都市は国内でも限られている。

ちなみにサッカーのJリーグは、J1からJ3まで合わせて54もの沢山の球団があるから、プロ野球のチーム数12は希少価値だと言えよう。

それだけにプロ野球のチームを持つ地元は、熱い思いを持って応援したい。

その声援が選手のエキサイティングなプレイを呼び、野球場が"最高に楽しいボールパーク"になると信じて・・・。  

【東西南論説風(14)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

ドラフト会議迫る!ドラゴンズの選択は?

北辻利寿

2017年10月20日

【CBCテレビ イッポウ金曜論説室】

プロ野球のドラフト会議が10月26日に迫ってきました。

今年の注目選手をご紹介しましょう。

何と言っても今回のドラフトの目玉は、早稲田実業高校の清宮幸太郎内野手です。

高校通算111本塁打という華々しい記録を打ち立てました。

球場をファンで満員にしてきた超人気選手です。

そして同じ高校生では広陵高校の中村奨成捕手。

今年夏の甲子園ではホームラン6本を打ち、PL学園高校の清原和博選手が持っていた 記録を塗り替えました。

キャッチャーとしても高い評価です。

そして大学生では、立命館大学の左腕・東克樹投手。

ノーヒットノーランをなんと2回も記録しました。

社会人ではJR東日本の田嶋大樹投手やヤマハの鈴木博志投手らが各球団からの1位指名候補です。  

●地元の中日ドラゴンズについて補強したいポイントを整理しましょう。

まず「先発投手」。

「先発投手は何人いてもいい」と言われるほどです。

投手王国の復活には欠かせません。

また安心して勝ちゲームの最後に送り出せる「抑え投手」もほしいですね。

そしてキャッチャー。

結局、今シーズンもレギュラーキャッチャーを1人に絞りきれませんでした。

ドラゴンズには谷繁元信さん以来、正捕手がいません。

補強が必要です。 打つ方では「代打の切り札」となるような強打者もほしいところですね。

しかし、今のドラゴンズに最も必要なのは「スター選手」です。

それもただのスター選手ではなく「全国区のスーパースター」でしょう。  

●なぜ「全国区のスーパースター」が必要なのでしょうか?

ドラゴンズの本拠地ナゴヤドームの入場者数ですが、NPBの資料から算出しますと、1997年のオープン初年度は年間250万人を超えていたものの、年によってばらつきがあるものの緩やかに減り続け、今季は197万4724人と200万人を割りました。

また1試合平均の観客数も2万8619人とナゴヤドーム21年の歴史の中で、過去最低でした。

ゲームに勝つことはもちろん大切ですが、5年連続Bクラスと低迷する今のドラゴンズには新たなそして強力な"起爆剤"、ナゴヤドームを連日満員にするスーパースターが必要でしょう。

満員のファンの熱烈な後押しで、チームも強くなっていくことに期待しましょう。

すでに阪神タイガースは清宮、広島カープは中村、それぞれ指名を公表しましたが、ドラゴンズは誰を指名するのか、まだ明らかにしていません。

もし、高校生のスーパースターを指名して獲得できたのなら、2~3年様子を見るというのではなく、思いきって開幕から即スタメンで起用してほしいと期待します。  

●注目のドラフト会議は「プロ野球各球団の選択」ですが、その前に「私たちの選択」が

迫っています。

10月22日に投票を向かえる衆議院総選挙です。

前回3年前の総選挙は投票率が戦後最低の52.66%でした。

台風も接近中でお天気も心配ですが、日本の将来を決める大切な選挙です。

必ず投票に出かけていただきたいと思います。

【イッポウ「金曜論説室」より  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

イギリスで見た超高齢社会への取り組み・・・日本との違いは?

後藤克幸

2017年10月17日


急速に進む「超高齢社会」は日本だけの問題ではありません。
イギリスも日本とたいへんよく似た状況の中、お年寄りの健康を支えるさまざまな取り組みが進められています。日本と共通する悩みもあれば、日本とは違った取り組みもありました。最新事情の報告です。

●イギリスの医療現場を取材?今なぜ?

65歳以上のお年寄りが人口に占める割合が今後急速に増加。住み慣れた地域で楽しく過ごせる地域医療の仕組みづくりが重要課題に・・・これは、日本もイギリスも共によく似た状況に直面しています。
また、医療制度の面でも、民間保険で格差社会が深刻なアメリカとは違って、イギリスの医療は、NHS(ナショナル・ヘルス・サービス)という国の機関が運営していて、国民皆保険で国の税金も投入されている日本の医療とよく似ています。日本の医療の今後を考える上で、共通課題が多く参考になることも多いのです。
 
●どんな所に行ったの?


10月の上旬、私は、イギリス北部のアバディーン市という街を訪問しました。北海油田の基地として知られる街です。人口23万人。今回、認知症のお年寄りの支援センターなどを訪問したほか、介護のさまざまなプログラムを提供するケア施設のリーダーとの情報交換にも参加しました。

●「病院」中心の医療から、「地域」中心の医療へ・・・


  従来の医療は、病気になったりケガをしたりして「患者」になって初めて「病院」に行く医療でした。しかし、超高齢社会の医療は、年をとっても「住み慣れた地域」で健やかな暮らしを続けたいと願う人たちを支える医療がとても重要になってきます。具体的には、病気の予防や生活習慣の改善が重要な医療分野になります。病気やケガをした「患者」だけでなく「健康人」も医療の重要な参加者というわけです。

●そうした課題に、イギリスでの取り組みは?


イギリスでは、身近な街の中の薬局で、さまざまな医療サービスが受けられる仕組みになっています。写真は、アバディーン市のショッピングモールの中にある薬局ですが、その看板を見ると例えば、NHS(ナショナル・ヘルスサービス)が推奨している禁煙外来の指導が受けられます。また、生活習慣病の代表格である「糖尿病」の自己管理を支援するサービスなども提供されています。日本では、禁煙外来も糖尿病の指導も病院で行なわれますが、イギリスでは、地域にある薬屋さんがクリニックに近い機能と権限を持って市民の健康を見守る・・・「病院」中心から「地域」中心の医療へ・・・という新しい医療のカタチが作られていました。

●「認知症」対策も日英共通の重要課題!


認知症のお年寄りを支援する施設を訪問しました。認知症のお年寄りが通ってきて、さまざまなイベントプログラムに参加する・・・日本のデイサービスセンターのようなところです。そこで驚いたのは、プログラムの多様さでした。日本のデイサービスでは、「手芸」や「合唱」など女性向きのプログラムが多いため、男性のお年寄りは参加したがらない人が多い・・・というのが課題になっています。
ところが、イギリスの施設では、女性も男性も共に楽しめようにさまざまに工夫を凝らしたイベントプログラムが、毎日たくさん用意されていました。とくに興味深かったのは「サッカーの思い出を語ろう!」というプログラムで、往年のサッカー選手やサッカーチームの活躍について語り合おう・・・というものです。このプログラムは男性に大人気で、男性のお年寄りたちは、これを楽しみに嬉々として施設に通ってくるんだそうです。日本なら「相撲」や「野球」をテーマに、こうした男性向けのプログラムを作ったら良いのでは・・・と思いました。男性も楽しくデイケアに集まってくれるようになることが期待できそうです。

●イギリスでは、独自の財源確保への努力も・・・


もうひとつ、日本も参考になると思ったことがありました。訪問した認知症の支援施設では、アバディーンの街の中に「チャリティーショップ」を何カ所も開設していて、さまざまなグッズを売ったり、チャリティーイベントを開催したりして、市民から寄付金を集める努力をしています。この認知症施設では、建物の提供と数名の正規職員の雇用は公的資金から支出されていますが、日常の運営費のほとんどは、市民や地元企業からの寄付で賄われています。ボランティアの人たちも多数参加していました。
こうした独自の財源確保のための努力は、日本の介護施設にとっても大いに参考になるのではないでしょうか?介護保険や税金などの公的財源だけに頼りすぎていては、できることが限られてしまいます。お年寄りたちのために、多様なサービスを工夫を凝らして提供するためには、地域の人たちに対してもっと情報発信をして、応援してくれるサポーターを増やす取り組みが、日本でもこれからどんどん盛んになっていくと良いですね。 

先生、タイムカードを押しますか?

北辻利寿

2017年10月11日

スポーツの秋。

そんな中、卓球は空前のブームだそうである。

 

卓球台を備えた体育館なども利用したい人の人気殺到、ネット上には「練習会場を確保する抽選必勝法」などの指南ページまで登場している。

卓球台も生産が需要に追いつかず、学校から発注してもすぐには品が届かない特需だそうだ。

「地味」とか「根暗のスポーツ」とか言われた日々がまるで嘘のよう。"愛ちゃん"と皆に親しまれている福原愛選手が火を点けた卓球人気も、1年前のリオデジャネイロ五輪のメダルラッシュで完全に燃え上がったと言えようか。

 

卓球を本格的に始めたのは中学時代だった。

通っていた中学校には、卓球指導者としては全国的にも有名な顧問の先生がいた。

ジュニアスポーツは指導者の力量が大きな影響を持つ。

この先生のお陰で私たちの母校は、いわゆる"強豪"と呼ばれていた。

その分、練習もハードだった。当時はまだ週休2日制ではないため、月曜から土曜までの授業後は練習。

さらに、日曜の午後にも練習があった。

文字通り"卓球漬け"の毎日で、ラケットを握らない日はほぼなかった。

そして、その練習にはすべて顧問の先生が立ち会って指導して下さった。

 

教員の長時間労働が問題化している。

2017年8月、文部科学省の中央教育審議会・特別部会は「学校における働き方改革に係る緊急提言」をまとめて発表した。

その全文を読んでみたが、最初の一文に「勤務時間を意識した働き方を進めること」と、一般企業ではすでに当たり前に言われていることが明言されているところに、この問題の根深さがある。

 

1972年(昭和47年)に制定された法律に「教員給与特別措置法(給特法)」がある。その中で、教員には時間外勤務手当や休日勤務手当は支給されず、その代わりに基本給の4%にあたる調整額が支給されることが定められている。

すなわち、法律上、教員の残業時間はゼロなのだ。

その流れが半世紀近くにわたり学校の先生を巻き込んできた。

その流れを変えようというのが、今回の緊急提言である。

 

提言の中では、学校の働き方改革について、いくつかの具体的な案を示している。

まず目につくのが、勤務時間を把握するためにICT(情報通信技術)やタイムカードなど客観的な集計システムを導入すること。

さらに、職員会議や部活動などは勤務時間を考慮した時間設定を行い休養日も設けること。そして、夏休みなど長期休暇期間には一定期間の「学校閉庁日」を設けることなどが提言されている。

 

 

文科省の最新の実態調査では、タイムカードなどで退勤の時刻を記録していると回答したのは、小学校で10.3%、中学校で13.3%。はたしてタイムカードというシステムが有効かどうかはともかく、勤務時間の把握が、いかに教員の自己申告に委ねられているかという現状はうかがい知ることができる。

2016年12月に連合総研がまとめた「日本における教職員の働き方・労働時間の実態に関する研究委員会」報告書では、在校時間について、小学校教諭が平均11時間33分、中学校教諭が平均12時間12分であり、民間の労働者の平均9時間15分に比べて相当長いことが指摘されている。

その上で、出退勤の正確な記録は9割近くが把握されておらず、報告書は「学校管理者の労働時間管理の欠落と労働者の労働時間意識の欠落」と指摘している。

 

文科省の緊急提言はまとまった。

しかし、大切なのは次の一歩である。

タイムカード導入にせよ、教員をサポートするスタッフ派遣にせよ、しっかりした予算措置があってのこと。

半世紀もの流れを変えるには相当なパワーがいることだけは間違いない。

そして忘れてならないのは「教員」すなわち「学校の先生」という仕事の重要性である。緊急提言の中にも「毎日児童生徒と向き合う教員という仕事の特性も考慮しつつ」という文言があるように、その存在は教え子の人生に大きな影響を与えるからだ。

 

中学時代に卓球の基本を徹底的にたたき込まれたお陰で、高校そして大学と卓球人生が続いた。

大切な仲間もいっぱいできた。それは10代前半での顧問の先生の熱心な指導があったからこそと今でも感謝しているが、先生の私生活そして健康面などに支障はなかったのだろうか・・・。

そう言えば、日曜日の練習の時に、まだよちよち歩きの男の子が体育館の隅にいて、ピンポン球を並べて遊んでいたような・・・。

先生の幼き長男だった。

働き方改革の動きは、過去の記憶まで呼び起こす大きなうねりとなって押し寄せている。  

                                    

東西南論説風(13)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

10月10日は何の日?総選挙公示、そして・・・

北辻利寿

2017年10月 9日

【CBCテレビ イッポウ金曜論説室】

●10月10日は何の日かご存知ですか?
年配の方を中心に、かつての「体育の日」というイメージが強いのではないでしょうか。
1964年(昭和39年)10月10日、東京五輪が開幕しました。
第二次大戦後の日本にとって、国が国際的にも認められ戦後復興の大きな弾みとなる大会でした。これに合わせて、東海道新幹線も開通いたしました。
夏季五輪としては随分遅い開幕ですが、総務省によりますと、これは東京の気温や湿度などを考慮した上で、さらに過去の気象統計上で晴れが多い日を選んだということです。現在はハッピーマンデー制のため、「体育の日」は必ずしも10月10日ではありませんが、やはり長年の印象は強いですね。

●今年の10月10日は、何と言っても第48回衆議院議員総選挙の公示日です。
安倍政権の突然の解散に始まり、小池百合子東京都知事による新党「希望の党」結成、民進党が分裂しての「立憲民主党」の誕生など、政権選択選挙として注目されます。
そして、北朝鮮では朝鮮労働党の創建記念日。
ミサイル発射の懸念もある中での10月10日です。

●そんな10月10日ですが、実は沢山の姿を持っている日です。
例えば「空を見る日」。
長野県の社会文化グループが制定したもので、「10」すなわち「ten」=「天」とい
う語呂合わせから生まれました。

●また「お好み焼きの日」でもあります。
これも実は語呂合わせ、「10」を「ジュー」と読み、10月10日で「ジュージュー」。お好み焼きを鉄板で焼く時のいかにも香ばしい音ですよね。
こちらはソース会社が制定しました。

●この他、語呂合わせから生まれた日は多く、「銭湯の日」「totoの日」「トートバッグの日」「トマトの日」「転倒防止の日」なども、声に出して読むと理由が分かります。
ユニークなところでは「貯金箱の日」。
わかりますか?
「10」という数字を横にして、「0」をコイン、「1」をコインの投入口に見立てたもので、おもちゃのメーカーが決めました。

●また「おもちの日」でもあります。
これはかつての「体育の日」に由来するもので、スポーツの時のエネルギー源として
餅が効果的だと、餅の製造組合が決めました。

●この他、まだまだご紹介したいのですが、今年の10月10日については、やはり衆議院議員総選挙の公示を忘れてはいけません。
3年前の前回総選挙は、投票率が戦後最低の52.66%でした。
主権者である私たち国民が国の行方について、きちんと意思を示す大切な機会です。
しっかりと各党そして各候補者の主張を聞いて、10月22日には必ず投票所に行っていただきたいと思います。

【イッポウ「金曜論説室」より  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

フェイクニュースの考察 ~マス倫懇の会場より~

北辻利寿

2017年10月 5日

英BBCニュースが、ある人物の死去を報道した。

去年の米大統領選でフェイクニュース(偽のニュース)を拡散させたとして名が知られたポール・ホーナー氏である。

記事によると、ホーナー氏は9月18日にアメリカ合衆国アリゾナ州の自宅ベッドで死亡しているのが見つかったと言う。

38歳の死だった。

「ローマ法王がトランプ氏の支持を公式に表明」などの虚報をフェイスブックやWEBサイトに掲載して、今回の米大統領選のひとつの風景ともなった。

 

この訃報が報じられた同じ日、長野県長野市ではマスコミ倫理懇談会の全国評議会が開催されていた。

マスコミ倫理懇談会、いわゆるマス倫懇は「マスコミ倫理の向上と言論・表現の自由の確保」を目的に1955年(昭和30年)に創設され、その4年後に現在の全国組織となった。

新聞・通信・放送・出版200を超す企業や団体が加盟、毎年秋に全国大会が開催され、その時代にマスコミが直面している様々なテーマや共通の課題を話し合う。

今年の大会には全国から300人余りが参加した。

 

「実名報道」「災害報道」「地方自治」などテーマ別に開かれた7つの分科会の内、「ネット時代に世論はどのように作られるのか」と題された分科会では、まさにそのフェイクニュースが取り上げられていた。

ホーナー氏が関わった米大統領選がきっかけとなって、フェイクニュースという言葉は一躍メジャーになった。

注目のテーマとあって、分科会の会場はフェイクでない熱気にあふれていた。

 

大学の研究者やネット炎上監視会社代表による講演に続き、新聞社のIT専門記者からフェイクニュースの歴史と現状について、わかりやすい講演があった。

最初に印象に残ったことは、かのジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)が『ガリア戦記』の中で、「人は自ら望むものを喜んで信じる」と語っていたという話だった。情報の"受け手"の心理を見事につかんだ言葉であり、これが紀元前の軍人によるものであることが感慨深い。

講師は、フェイクニュースのひとつの起源としてこれを紹介したのだが、遠くローマ時代と比較しなくても、スマホとソーシャルメディアの普及によってこの10年だけでも"自ら望む"情報の入手経路は急速に進んだ。

 

分科会での記者の講演で、もうひとつ印象に残ったことは、フェイクニュースの登場によって、逆に既存のメディアの信頼度が増していると言う。

大統領選でフェイクニュースの文字通り"洗礼を受けた"アメリカでは、最新の調査でメディアの信頼度が72%に達し、新聞記者がニクソン大統領を追い詰めたウォーターゲート事件直後の1976年以降で最も高い数字なのだ。

偽のニュースが横行したことによって、従来のニュースの信頼度が増すというのも皮肉なことだが、冒頭にホーナー氏の死を報じたBBCが速報ではない「急がないニュース」にも力を入れ始めたということも、ある意味で評価される。

かつて同じ英国のタイムズ紙は原稿をすべて過去形で書いていた。「憶測」は書かない、「起こったことのみ」「事実のみ」を書くというスタンスである。

 

フェイクニュースが話題になる度に、ある映画を思い出す。

『カプリコン1』という米英合作映画で、1977年(昭和52年)に公開された。

人類初の有人火星探査宇宙船カプリコン1号が打ち上げられるのだが、実は3人の乗組員は船に乗っておらず、砂漠にある基地に作られたセットで、火星探査の芝居をするというショッキングな内容だ。

40年も前の映画なのだが、映像技術が格段に発展した現在でもあり得るフェイクニュースである。

 

イギリスのオックスフォード辞典は、去年の言葉として「post-truth(脱真実)」を選んだ。「世論を形成するには客観的な事実よりも個人の感情や信条に訴えた方が影響力を持つ時代」という背景であり、今回のマス倫懇の討議でも度々この言葉が口にされた。

 

かつてのタイムズ紙には叱られるかもしれない憶測だが、「フェイクニュース」という言葉は、おそらく今年の流行語大賞にもノミネートされるだろう。

会社の後輩の小学4年になる息子さんは、家族でトランプ遊びをする前に、かの大統領の口調を真似て「フェイクニュース!」と叫ぶとか。

あながち憶測とは言えないかもしれない。

だからこそ「truth(真実)」にこだわらなければならない時代だと自戒したい。

 

東西南論説風(12)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿