「リアルな映像」考〜キノコ雲の下から考えるということ

横地昭仁

2015年3月24日

 「キノコ雲の下」という言葉に強いインパクトをうけました。3月23日に日本記者クラブで開かれたパグウオッシュ会議と核廃絶がテーマの記者会見で出た言葉です。

 パグウオッシュ会議は、冷戦時代の1957年、核兵器の開発に携わった東西の科学者らがカナダのパグウオッシュに集まって、核廃絶と科学者自身の責任について話し合ったのがはじまりで、それから折に触れて世界大会を各地で開き、核廃絶に向けた提言をしています。ノーベル物理学賞を受賞した科学者らも参加し、日本も批准しているNPT=核兵器不拡散条約にも影響を与えたとされ、パグウオッシュ会議自体がノーベル平和賞を受けています。

 戦後50年、60年、つまり広島・長崎に原爆が投下されて50年、60年の節目の年には世界大会が広島で開催されましたが、70年の節目の今年は11月1日から5日まで「被爆70年:核なき世界、戦争の廃絶、人間性の回復をめざして」をテーマに世界大会が長崎で開催されることになり、この日の記者会見は、長崎大会に携わる日本の3人の学者(写真左から大西仁東北大学名誉教授、小沼通二神奈川歯科大学理事、鈴木達治郎長崎大学核兵器廃絶研究センター教授=組織委員会委員長)が意義やねらいを説明しました。

 キノコ雲の下という言葉は、95年の広島宣言に盛り込まれた言葉です。核の廃絶に背を向けるならば、「キノコ雲の下で夥しい数の人々が消滅する事態が、またしても起こりうる」と記されました。

 世界中の歴史教育で使われる教科書には、原爆を説明する資料として、上空から、つまり投下した側から撮影されたキノコ雲の写真が使われているといいます。確かに被爆国の日本でも、原爆の写真を一枚だけあげるとしたらキノコ雲になるのかもしれません。しかし、そのキノコ雲の下でどんな現実があったのか、投下された側の視点でそれを語り継ぎ、そこに思いを致すことが核兵器の問題を考える上でとても大切、今回、被爆地長崎で開催される意義の一つもそこにあるというのです。

 重い言葉でした。報道番組でも、よくキノコ雲の映像を使いますが、核兵器の象徴として安易に使っていないのか、大いに考えさせられました。

 さらに、最近の傾向として、映画やゲームなどで終末戦争などをうたった一見リアルなCG映像が氾濫しているが、核兵器がもし今使われるとどんなことが起こるのかを、こうした映像があふれる中で、どうやって描いていくのかが、重い課題だという趣旨の発言もありました。

 象徴的な映像が現実のすべてを表すわけではありません。まして、いくらリアルであっても作り物の映像には限界があります。自らの表現の幅を狭めるということでは、決してありませんが、技術の進歩で様々な映像を作成できるようになった今だからこそ、私たち報道に携わる者は、厳粛な気持ちで、現実に強くこだわり続けないといけないと感じました。