令和のイバケンとなって、復活竜の力に!ドラ1仲地、ドラ6田中の大学コンビ揃って出演

令和のイバケンとなって、復活竜の力に!ドラ1仲地、ドラ6田中の大学コンビ揃って出演

【ドラゴンズを愛して半世紀!竹内茂喜の『野球のドテ煮』】
CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日12時54分から東海エリアで生放送)

ケガを恐れず、徹底的に追い込め!

“口先だけでは優勝は目指せない”

必ずや今年のリベンジを果たす!そのためには一日も無駄にせず個々のレベルアップと体力強化に努めなければならない。

最下位の屈辱を晴らすために、そして来年の今頃は最高のオフを迎えるために、若手中心となって始まったドラゴンズ秋季キャンプ。立浪監督大号令の下、今年はナゴヤ球場と3年ぶりに復活した沖縄・北谷の二か所に分かれスタート。

11月19日まで18日間で休日はわずか2日だけというハードスケジュールの中、各々技術力を高める日々が続く。ケガを恐れず身体を徹底的に苛め抜くことが可能な秋のキャンプ。参加する選手全員にとって来季活躍するための土台作りとなれるよう、有意義な期間であってもらいたいと願うばかりだ。

さて今週のサンドラは今年のドラフト会議で1位指名を受けた仲地礼亜投手、同じく6位指名の田中幹也選手がスタジオゲストとして初登場!緊張の生放送の中、初々しい素顔を見せてくれた!

まさに運命ともいえる“竜の子”

「サンデードラゴンズ」より仲地礼亜投手©CBCテレビ

沖縄の大学から初となるドラフト一位指名を受けた仲地礼亜投手。立浪監督も絶賛する最速151キロのストレートと三振が獲れる縦のスライダーが持ち味の即戦力右腕にとって、ドラゴンズは地元球団ともいえるプロ野球チームだった。

仲地投手「ドラゴンズの野球教室にも小学校のころ参加した覚えがあります」

仲地投手の出身地は沖縄・読谷村。ドラゴンズ二軍キャンプ地ということもあり、今回の指名に地元は大盛り上がり。仲地投手自身も自分の中では一番身近に感じる球団だったと話し、今回の指名はまさに運命を感じる。小学2年で野球を始めた仲地投手の近くには常にドラゴンズの存在があった。

中学生になると、ドラゴンズ一軍キャンプ地である北谷町のクラブチームに入り、キャンプ期間中にはオープン戦のチケットのもぎりやグラウンド整備の手伝い等も行い、試合が始まれば、ファウルボールの注意を促す笛吹きもしたという。

根っからの“うちなーんちゅ”

「サンデードラゴンズ」より仲地礼亜投手©CBCテレビ

嘉手納高校に進学すると、3年夏にはエースとしてチームを県大会ベスト4へ導く原動力となり、県外の大学から誘いを受ける有望株へと成長。しかし彼が選んだ道は地元の沖縄大学。根っからの沖縄を愛する“うちなーんちゅ”なのである。

そして3年春にはチームメイトからも頼られるエースとして全日本大学野球選手権へ出場。当時自己ベストとなる149キロを投げ、奪三振8、失点1の完投。試合は1-0で敗れたものの、プロのスカウト陣に“沖縄に仲地あり”と知らしめた。

ゲストコメンテーターの井端弘和さんは偶然にもその試合をバックネット裏から見ており、仲地投手のピッチングを鮮明に覚えていた。

井端さん「スライダーも曲がりますし、キレがありましたよね」

プロを意識したその後の一年、ストレートに磨きをかける一方、本格的にウエイトトレーニングにも取り組み、一年間で体重の10キロ増に成功。入学当時、140キロ前半だった球速は151キロをマーク。そして運命のドラフト会議を迎え、ドラゴンズの一本釣りが見事に成功したのだ。

狙うはもちろん新人王

そんな仲地投手には憧れであり、目標とする投手がいる。それはオリックスバファローズ、北海道日本ハムファイターズで活躍した金子千尋投手。コントロール重視で変化球多彩なピッチングを動画サイトで何度も見ては参考にしていたそうだ。自身と同じく、多彩な球種を持ち、全盛期には沢村賞を受賞した名投手を目標に掲げた。

そして獲りたいタイトルは新人王と公言。終始ニコニコする穏やかな表情とは裏腹に、勝負となればインコースはぶつけても良いくらいのつもりで投げるという仲地投手。彼がタイトル獲得となれば、自ずとチームも優勝を目指せる位置へ上がれるはず。まずは目標達成に向け、来春キャンプまでに故障しない身体作りを徹底してもらいたい。

野球忍者

「サンデードラゴンズ」より田中幹也選手©CBCテレビ

よく6巡目まで残っていたものだ。田中幹也という名前を聞いた時、そう感じたことを今でも覚えている。指名された瞬間の心境を田中選手はこう答えた。

田中選手「正直泣きそうになりました」

幼少時から憧れ続けていたプロへの扉が開いた瞬間であった。

東都大学リーグタイ記録となる1試合6盗塁を決めた俊足が武器のショートストップ。華麗なフィールデイングで好プレーを連発。その動きにまさに忍者!

田中選手が野球を始めたのは小学2年。中学から硬式野球チームに所属すると、東海大菅生時代には甲子園に出場しベスト4まで勝ち上がった。その後、東都の名門、亜細亜大学へ進学。

田中「自分が試合に出て、日本一になりたい思いがあったので亜細亜大を選びました」

入学後は1年春からレギュラーの座をつかみ、日本代表にも選出。2年秋には打率3割台をマーク。そんな矢先の出来事だった…。

もう一度この仲間と野球がしたい

3年夏、ハチに刺されたことがきっかけで病院へ。検査結果は国指定の難病である潰瘍性大腸炎。大腸を全て摘出するという大手術となったが、本人はこの困難にも負けず、小さな頃からの夢を決してあきらめることはなかった。

闘病を支えたのは仲間の存在だった。練習から離れている時にはビーグルクルー「My HERO」の歌詞を田中選手の名前に替え、歌の動画をプレゼント。その歌に何度も助けられたという。

“もう一度この仲間と野球がしたい”

この思い一心で難病を克服。わずか3カ月という驚異のスピードで実戦復帰した田中選手。キャプテンとしてチームを牽引すると、4年春の全国大会で入学時の目標であった日本一に輝き、田中自身もMVPを獲得。奇跡の復活を遂げ、ドラフト指名を手繰り寄せた。

田中選手「今度はボクが苦しんでいる人に野球ができる喜びや、勇気を与えていけたらなと思っています」

憧れ続けたドラの名ショート

「サンデードラゴンズ」より田中幹也選手©CBCテレビ

田中選手にも仲地投手同様、目標として憧れる野球選手が存在する。それは大学の先輩でもあり、守備位置も同じであり、小さい頃からずっとプレーを見続けていた名選手、その名は?

田中選手「井端弘和さんです。走攻守すべてにおいて、すべて憧れの存在です」

憧れの存在の井端さんが見た田中選手の印象はなんといっても彼の持味であるスピード、そして相手のスキをつくプレーは秀逸だと続けた。

井端さんの他に亜細亜大OBには大石大二郎さん(近鉄)、赤星憲広(阪神)という、やはり小柄のハンデを克服し盗塁王に輝いた大先輩がいる。彼らを目標にまずは足を武器に一軍入りを目指して欲しい。

令和のイバケンになれ!

井端さんが同席しているから感じたわけではないが、同じ大卒入団でピッチャーとショートの二人。どうしても1997年のドラフトで入団した川上憲伸さんと井端さんとダブって見えてしまう。二人の目標通り、先発として新人王を獲得する好投を見せ、また走攻守に貢献する内野手として活躍を妄想。ドラゴンズファンであれば、ワクワク感が抑えられなくなる気持ちは分かってくれるだろう。

プロの世界、これから多くの壁にぶつかるはずだ。でもそんな壁をひとつひとつぶち破り、いつかふたりを目標にするような選手に成長していってもらいたい。それが半世紀以上ドラゴンズを見続けているファンからのメッセージとして受け取って欲しい。

願いはきっと叶う!
ルーキーたちよ!今後の活躍を楽しみにしている!
礼亜よ、沖縄の一番星になれ!
幹也よ、今度はドラゴンズを日本一に導いてくれ!

がんばれドラゴンズ! 燃えよドラゴンズ!

竹内 茂喜

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