「最新のウイルスレンガード」提供:レンゴー株式会社古くから“紳士の国”と呼ばれる英国。必需品とも言えるシルクハットの内側に、19世紀半ばから、通気性も柔軟性も良い“波状”の紙素材が使われた。これが「段ボール」の始まりとされる。その後、米国では、そのクッション性を活かして“物を包む”包装紙として使われるようになった。「創業者・井上貞治郎さん」提供:レンゴー株式会社そんなシワシワの紙に目をつけた人が日本にいた。井上貞治郎(いのうえ・ていじろう)さん、1881年(明治14年)に兵庫県姫路市で生まれた。商売に関心のあった井上さんは、洋服店や飲食店など30種類以上の業種に転職をする。1909年(明治42年)に東京で創業。そんな頃に、シワを寄せた紙が、割れやすいガラス製品などを包む緩衝材として使われていることを知った。この紙は「板みたいな厚い紙」という意味で、英語では「paperboard」。その「board(ボード)」が「ボール」に聞こえたため、日本では「ボール紙」と呼ぶようになっていた。そんなボール紙をシワシワにした紙は「波型紙」「電球包み紙」などとも呼ばれていたが、海外からの輸入品で高価な品だった。「段ボール製造機1号機」提供:レンゴー株式会社数々の職を経験してきた井上さんは、そのシワシワの紙が、実はいろいろなところで役に立つことを直感した。「よし、自分で作ってみよう!」。早速、柔らかな綿を作る手回し機械を参考に、綿の代わりに紙を入れてクルクルと回してシワをつける機械を開発した。ところが、実際に紙を入れてみると、シワが左右で均等にならない。ゆがんでしまい、できてみると歪な(いびつな)、まるで扇(おうぎ)のような形になってしまった。井上さんは、分銅を使って左右のバランスを調整したり、台座にバネを入れてみたり、悪戦苦闘の末、段差のついた紙を作ることに成功した。井上さんは、自らが作った“段差のある紙”に「段ボール」と名づけた。国産の段ボールは、電球、化粧品、薬の瓶など割れやすい品物を包むことで需要が高まった。「創業まもない会社・大正2年」提供:レンゴー株式会社ある日、井上さんに「香水用の瓶を半ダース入れる箱がほしい」という依頼が舞い込んだ。米国にはボール紙を使った箱があることを知った井上さんは、それを参考に、段差のついた「段ボール」を、2枚のボール紙で挟み込んで3重に分厚くして、それによって箱を組み立てた。段ボールを作ってから5年、1914年(大正3年)に日本で初めて「段ボール箱」が誕生した。「輸出用陶磁器包装」提供:レンゴー株式会社段ボール箱には、多くの長所があった。①軽い。重さも木箱の3分の1程度。②使わない時は畳んで置いておける。③組み立てる時は、釘など不要。④サイズも中身に合わせて自由自在。⑤衝撃をやわらげるクッション機能。物を運ぶ時には、それまでの木箱に代わって段ボール箱が使われるようになっていった。もみ殻を入れた木箱で運んでいたフルーツ類も、簡単に安全に運べるようになった。井上さんの「段ボール箱」は、物流という世界に、まさに革命をもたらした。井上さんは、1923年に大阪にある紙メーカーと一緒になり、紙の生産から段ボール作り、さらに段ボール箱の組み立てまで“一気通貫”で製造する会社に発展させた。大阪で最初の万博が開催された2年後の1972年(昭和47年)に会社名を「レンゴー」と変えた。業界の第一人者「レンゴー株式会社」である。「各種の段ボール箱」提供:レンゴー株式会社「ゆりかごから棺桶まで、すべて段ボールで作って見せる」と語った井上さん。段ボールは、机やベッドなどの家具にも活用される。また、災害時の避難所でのパーティションとしても重宝される。使わない時に折りたたんでおけることは、大きなメリットである。紙のリサイクルも進む中、SDGs(循環型社会)にも大きく貢献。日本で初めて井上さんが開発した「段ボール」は、私たちの暮らしに欠かせないものになった。どんなものでも包み込み、中身を守る包容力は、ニッポンという国の底力を象徴しているようだ。「段ボールはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“しっかりと梱包され”大切に保管されている。【東西南北論説風(388)byCBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。