CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

MENU

『豊臣兄弟!』にも縁が深い武将・池田恒興・輝政親子と徳川家康の関係

『豊臣兄弟!』にも縁が深い武将・池田恒興・輝政親子と徳川家康の関係

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です1月31日放送では、徳川家康・加藤清正・陣笠隊の足軽・なつの3名が出演し「碧蹄館の戦い」と池田恒興・輝政親子について取り上げました。

関連リンク

この記事をradiko(ラジコ)で聴く

この日何の日?「碧蹄館の戦いが起こった日」

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある中、話題は1593年1月26日にに起こった「碧蹄館(へきていかん)の戦い」、そして池田恒興・輝政親子について。

徳川家康「碧蹄館の戦いというのは今の朝鮮半島、今の韓国あたりじゃな。日本が出兵した時に明(当時の中国王朝)とな、大きな戦いが起こったわけじゃ。場所はソウルの近くで、強い明軍が攻めてきて日本軍は必死に戦って守り、次の作戦につなげたという戦いだったんじゃな」

当時、豊臣秀吉は朝鮮出兵の前半戦「文禄の役」を命じており、各地の大名に出兵するよう要請していました。そこで各地から大名が集まり、九州から出兵したのが朝鮮出兵です。
これは「文禄の役」と、後半戦の1597年の講和交渉決裂によって再開された1598年に豊臣秀吉が没するまで続いた「慶長の役」の二段階となります。

徳川家康も認める武将・池田輝政

ちなみに、文禄の役・慶長の役に関わっていた大名の1人が、池田輝政。父は織田信長の乳兄弟・池田恒興です。その輝政が没したのが1613年1月25日になります。その輝政の話は、加藤清正が引き継ぎました。

加藤清正「池田輝政殿はみな聞いたことがあるかの?姫路城の初代城主であられるんじゃが、その父は恒興様じゃ。輝政殿は家康様とも縁がござりまして、(家康の娘の)督姫様を正室に迎えられて、徳川様から厚い信頼を得ておられたと聞いておりますが」

家康「そうじゃな、輝政殿は儂にもよく仕えてくれてのう。本当に良き大名であった」

その父・恒興は、今年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場します。恒興を演じるのは俳優・堀井新太さん。ちなみに、加藤清正を演じるのは伊藤絃さんです。

今後大河ドラマで活躍予定

「豊臣兄弟!」はまだ始まったばかりですが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・前田利家など、名古屋おもてなし武将隊にゆかりの武将も登場します。
名古屋市内では「名古屋中村 大河ドラマ館」がオープンするなど地域を挙げて盛り上がっています。

もちろん、秀吉・秀長が生まれたのも名古屋。今年に入ってからこの番組の放送でも、度々複数の武将が話題にする一方で、秀吉が「弟・秀長が主役じゃから、今年は儂のお株が奪われそうじゃ」とぼやく一幕もありました。

清正「そのうち、大河ドラマでも先程申した賤ヶ岳の戦いも描かれるじゃろ。今から楽しみじゃな。まだ先になると思うがの」

話を池田輝政に戻すと、彼は秀吉が存命中は割と秀吉に近い立場でした。秀吉が没した後は、家康の娘を正室にしていたこともあって急接近。福島正則や加藤清正ら武断派の諸将らと共に行動し、文治派の石田三成らと対立します。

その武断派と文治派の間を取り持っていたのが前田利家でしたが、利家も1599年に没すると対立が激しくなり、関ケ原の戦いへとつながっていきました。

関ケ原の戦いの後は、家康に厚遇されて先程加藤清正が放した通り、姫路城主となって初代姫路藩主となります。

慶長16年(1611年)3月、二条城で家康と豊臣秀吉の子・秀頼との会見に同席するなど政治的にも重要な場に居合わせたり、姫路という西国で重要な地を与えられるなど大いに活躍し、50才で亡くなりました。

今後「豊臣兄弟!」で名古屋おもてなし武将隊の武将たち同様、どのように演じられるのかも見どころになりそうです。
(葉月智世)
 

この記事の画像を見る

オススメ関連コンテンツ

PAGE TOP