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思い出の映像たちが消滅の危機?ビデオテープに訪れた2025年問題の今

思い出の映像たちが消滅の危機?ビデオテープに訪れた2025年問題の今
CBCテレビ:画像『写真AC』より「ビデオテープをデッキに差し込む」

我が家にホームビデオのデッキがやって来たのは、昭和50年代も半ばに差しかかろうと言う頃だった。高価な家電製品だったため、家族でも検討に検討を重ねた末に購入した。「観たいテレビ番組を録画して、後で観ることができる」。当時としては、これはとんでもない大きな魅力だった。「タイムシフト」なる言葉も一般的でなかった時代である。

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家庭にはビデオデッキ

当時は、ベータマックスとVHSの2種類があったが、購入したのはVHS方式だった。VHSテープとビデオデッキは、1976年(昭和51年)に、日本ビクター(現・JVCケンウッド)が開発して売り出した。録画した番組を自分の時間に合わせて観られる、映画のテープを購入すれば自宅で楽しむことができる、ビデオ撮影機を使えば思い思いの映像を録画して保存できる。ただ当初、ビデオデッキはもちろん、使用するテープの1本あたりの値段がとても高かった。このためテープは何度も重ね録りして使用したが、次第に価格も安くなって映像の保存にも勢いがついた。こうしてビデオデッキの生産台数は、累計9億台を超えた。どこの家庭にもビデオデッキが置かれるようになった。

膨大なテープを前に

CBCテレビ:画像『写真AC』より「撮りためたVHS」

そんなビデオテープが観られなくなるという事態がやって来た。正直、戸惑っている。現在、我が家には膨大な数のビデオテープがある。卒業式、結婚式、旅行、入学式、運動会などの個人的な思い出テープの他、ドラマ、歌、映画、ニュースなどテレビで放映された番組、全部で800本ほどあるのではないだろうか。正直、録画したことで満足してしまい、一度も観たことがないものも多い。このままお蔵入りさせるのは忍びない。

ユネスコの警鐘の“時が来た”

ビデオテープのいわゆる2025年問題は、ユネスコ(国連の教育科学文化機関)の声明によって知られるようになった。2019年(令和元年)に「磁気テープの映像を2025年までにデジタル化しないと、永遠に観られなくなる可能性がある」という警告を出したのである。人の性(さが)なのか「まだ先のこと」と思っていたら、いよいよその「2025年」が到来した。日に日に、この問題は拡がってきている。

テープとデッキ、ダブル寿命

なぜ「2025年」なのか。理由は2つある。まず、ビデオの磁気テープの問題。その寿命は長くて30年とされている。ビデオテープが需要のピークを迎えたのは1990年代の後半で、その時に販売された品の耐用年数が来たことである。もうひとつは、テープを再生するビデオデッキの国内での製造が、すでに終了していることだ。2000年代に入って普及したDVDによって、ビデオデッキの売れ行きも一気に失速した。DVDは高画質で記録できる上、物理的にも嵩張ることなく保存しやすい。ビデオデッキの地位が“取って代わられた”のは自然な流れだった。ビデオデッキが故障しても部品もなく、修理などメンテナンスもできなくなった。

ダビングすると言うけれど・・・

CBCテレビ:画像『写真AC』より「VHSテープのDVD化」

ビデオテープに録画してある映像をどうすればいいのだろうか。結論は「デジタルにファイル化する」ことである。しかし、ダビング先が問題である。DVDは湿気や熱によって劣化する。USBメモリーやSDカードにも寿命があり、容量や使用回数も限りがある。最適なのは、デジタル化してパソコンに保存、さらにそれをHDD(ハードディスクドライブ)に入れることなのだが、これには専用の機器が必要となる。ダビングの専門業者に依頼すれば、当然費用はかかる。一般的にテープ1本あたり1,000円前後から数千円ほどの予算だが、本数が増えれば負担も増える。800本などとんでもないことなのだ。

図書館なども保存に苦慮

ビデオテープの2025年問題に直面しているのは個人だけではなく、公共機関や企業なども同じである。例えば、図書館なども所蔵するテープのダビング保存を進めているが、本来は館内での上映や貸し出しを想定して利用許諾契約を結んでいることが多いため、勝手にダビングはできない。「まず契約の許可を取って」となり、ダビング以前に手間と時間がかかるのである。そうなると優先度の高いものからデジタルファイル化を進めるしかない。これは、個人にとっても同じこと。大切な思い出に順列はつけたくないけれど、決断の時は迫っている。

「いつか観よう」と思っていたドラマも再放送やDVDで観ることができ、音楽は配信でいつでも楽しむことができる。そんな時代が来るとは、当時は思っていなかった。また、年齢と共に、思い出の映像への執着心が薄らいできたことも感じる。目の前で“上映”される映像以上に、“記憶のスクリーンに映し出される”ものを大切にしていきたいと、800本のビデオテープを前に自分に言い聞かせようとする2025年の春である。

【東西南北論説風(565)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

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