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「秘密基地」に夢中になった時代、小学生にとって魅力だった“マル秘空間”の記憶

「秘密基地」に夢中になった時代、小学生にとって魅力だった“マル秘空間”の記憶
CBCテレビ:画像『写真AC』より「土管の秘密基地」

大人になった今でも、懐かしさで胸がキュンとなる。「秘密基地」という言葉に、記憶の中に眠っている思い出たちが反応する。昭和時代の“基地ごっこ”楽しかったなあ。

テレビに登場した「秘密基地」

「秘密基地」を作った経験がある人は多いのではないだろうか。筆者は、小学生時代にその魅力に取りつかれた。1960年代当時、『ウルトラセブン』の地球防衛軍や『サンダーバード』の地下基地とか、何やらいろいろな“秘密の隠れ家”がテレビに登場していた。『サンダーバード』にいたっては、1号や2号といった飛行機のプラモデルに加えて、基地自体が大きめのプラモデルとして登場するほどだった。そんな影響を受けた小学生は、自分たちでも「秘密基地」を作った。

最初の基地は公園に作った

CBCテレビ:画像『写真AC』より「木で作った秘密基地」

最初に作った「秘密基地」は、自宅近くの公園の大きな樹木の後ろだった。直径1メートルほどの大木だった。その木の後ろ側に、捨てられていた廃材とか、壊れた椅子などを持ってきて、子どもひとりが隠れることができる空間を作った。当時、鬼ごっこなどで遊ぶ時などは、そこに隠れた。もっとも正面から180度回りこめば、まったく隠れ家にはなっていないのだが、あまりそんなことは気にしていなかった。その空間自体が嬉しかったのだ。

校舎裏に友と作った基地

次に作った「秘密基地」は、通っていた小学校校舎の裏側の少し奥まった一角だった。友人たちとの共同作業だった。放課後に、使い捨てされていたイグサで編まれた「ござ」を手に入れて、それを地面に敷いた。ここにも廃材を持ち込んで、ビニールなどで一角を覆ってみた。出来損ないのビニールハウスみたいだったが、それでも靴を脱いで「ござ」の上に座り、親しい友とくつろげることは魅力的だった。しかし、週が明けると「秘密基地」は跡形もなく、姿を消していた。昭和の時代、用務員さんが学校に住んでいて、どうやら週末の校内チェックの際に見つけて、撤去されたようだった。少年の夢は雲散霧消した。

自宅ではカーテンの陰に

自宅でも「秘密基地」を作った。カーテンを利用して、束ねた布の内部スペースに小さなテーブルを持ち込んだ。公園や学校の基地とは違って、カーテンによって、閉ざされた空間が作り上げられた。遮光性のカーテンだったこともあって、中は薄暗い。懐中電灯を持ち込んで、その中でお菓子を食べたり、絵本を読んだりして過ごしたものだ。ちゃんと部屋に自分の学習机が与えられていたものの、なぜか、その閉ざされた空間に魅力を感じていた。公園、小学校、そして自宅、どこでも「秘密基地」を作っていた。

令和の時代で見つけた基地

CBCテレビ:画像『写真AC』より「キッズテント」

歳月が流れて驚くのは、そんな「秘密基地」が販売されていることである。インターネットで検索すると、子どもひとりが入る大きさのテントが、いろいろな種類で登場してくる。そんな中、「大人の秘密基地」と名づけられた大きなテントもある。さらに、趣味の品を持ち込むことができるガレージまでも貸し出されている。ここまでくると本格的だ。「秘密基地」をテーマにしたボードゲームまで見つけた。秘密基地の作り方マニュアル本も出版されている。令和の時代になっても「秘密基地」は健在なのである。

「秘密基地」の魅力とは?

なぜ人は「秘密基地」なるものに魅かれるのだろうか。雪国で見かける「かまくら」をかつて羨ましく思ったことにも通じそうだ。自分だけの空間、人には知られたくない秘め事、“秘密”という言葉の響き。それらは子ども時代だけではなく、成長した後も、ヒトという生き物にずっと付いてくるものなのかもしれない。だからこそ、時代が移り変わっても「秘密基地」は、多くの人をどこか魅了し続けるのだろう。

筆者の1歳になる孫が、最近は棚と壁の間にできたわずかなスペースに、好んで入り込んでいるようだ。まもなくおもちゃを持ち込むかもしれない。「秘密基地」事始め、早くも訪れたようだ。彼はこれからどんな「秘密基地」を生み出していくのだろうか。

【東西南北論説風(538)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。

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