日本で誕生した「マッサージチェア」~究極の“揉み心地”を追求した開発魂
疲れた身体が、時おり無性に求めてしまう。揉んだり押したり、「マッサージ」の気持ちよさに魅了される人は多い。そんな「マッサージ」はヨーロッパで生まれた。人の身体の皮膚に刺激を与えて、血行を良くして体調を整える“健康術”として、紀元前には存在していたようだ。日本には、伝統的に「あん摩」そして「指圧」があったが、明治時代に、ヨーロッパのマッサージ術が入ってきて、それは「あん摩」の中にも取り入れられたと言われる。
銭湯で思いついた開発
そんな「マッサージ」の世界で、歴史的な一歩を刻んだ人物がいた。和歌山県出身の藤本信夫(ふじもと・のぶお)さん。タイルを洗う「たわし」の販売をしていて、町の銭湯に出入りしていたが、脱衣場で湯上りの人たちがリラックスしている姿を見て、何かできないかと考え始めた。
「マッサージをしてくれる機械はできないだろうか」
藤本さんは、座っているだけでマッサージを受けられる、そんな椅子を作ろうと思いつく。
注目したのは“背中”
藤本さんは、実際にマッサージ師のもとへ日参して、自分自身でマッサージを受けながら、どこが身体のツボか、どこを揉むと気持ちがいいのか、自らが“実験台”となって、研究した。機械によって揉みほぐしやすい身体の部分。それは、椅子にぴったりとつく“背中”だった。アイデアマンである藤本さんの開発がスタートした。
世界初のマッサージチェア
木製の椅子の背もたれに、軟式野球のボールを応用した「もみ玉」を、2つセットで取り付けて、電動で振動するようにした。「もみ玉」を上下に動かすために、自転車のチェーンを使い、椅子の横に取り付けた自動車のハンドルを片手で操作することで、「もみ玉」の位置を調整できるようにした。1954年(昭和29年)、藤本さんは「フジ医療器製作所」(現・株式会社フジ医療器)を創業し、マッサージチェア「フジ自動マッサージ機」を発売した。量産型の「マッサージチェア」としては世界初の画期的な商品だった。値段は当時7万円、現在でいうと100万円近い高価なものだったが、銭湯や温泉旅館などで、一気に人気となった。コインを入れると「10円で3分間」動く装置をつける工夫もあり、マッサージチェアを置く側にも、利益が出るメリットもあった。
家庭に置けるアイデアとは?
一般家庭に家風呂が増え始め、次第に銭湯に通う人が少なくなり始めると、次は、家庭用のマッサージチェアを作ることになった。それまでは別々だった“揉む”機能と“叩く”機能を一体にして、スイッチで切り替えるようにした。1975年(昭和50年)に発売した商品の名前は「かあさん」。家庭用マッサージチェアは、背中に当たる「もみ玉」とアーム部分を、取り外しできるようにした。マッサージ機として使わない時、普段は“応接間のソファー”として使うことができる。日本の住宅事情における“置き場所の確保”という問題も解決した。
脚のマッサージへ進化
背中だけでなく、脚にも注目した。ふくらはぎや腿をマッサージするため、空気圧を利用する「エアーバッグ」を開発した。脚を包み込んだバッグが、膨らんだり縮んだりして、脚を揉みほぐすことを実現した。やがて、後にはフットレスもつけて、足裏のマッサージも可能になっていく。背中の“点”から、身体全体の“面”へと、マッサージチェアの“仕事場”はさらに増えた。
AIが実現する快適さ
背骨のラインを機械が自動的に感知して、それに合わせたプログラムを選んでくれる機能も開発した。20種類以上のコースが選べるようになり、30分間の「極上の休息」コ-スもお目見えした。2019年(令和元年)には、AIを搭載し、利用する人それぞれの体形や部位の状態に合わせて、まるで“人の指による”ような、きめの細かいマッサージも実現した。ヨーロッパで生まれた、人の手による「マッサージ」は、日本の開発技術によって、機械の手を借りての「マッサージチェア」として、新たな道を歩み続けている。
「マッサージチェアはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“極上のツボマッサージで”気持ちよく揉みほぐされている。
【東西南北論説風(454) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。