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ピアノはじめて物語~静岡県浜松市を舞台に繰り広げられた職人たちの開発秘話

ピアノはじめて物語~静岡県浜松市を舞台に繰り広げられた職人たちの開発秘話
「ヤマハ コンサートグランドピアノ『CFX』」提供:ヤマハ株式会社
「ヤマハ コンサートグランドピアノ『CFX』」提供:ヤマハ株式会社

世界に存在する数々の楽器の中でも、存在感と人気においてトップクラスなのが「ピアノ」。日本での本格的なピアノ作りには、開発に精魂込めた職人たちの熱い思いと努力の日々があった。そんな「ピアノはじめて物語」を紹介する。

「山葉寅楠さん」提供:ヤマハ株式会社

世界最初のピアノは、ハープシコード(チェンバロ)の製作者だったイタリア人が、18世紀に作ったと伝えられる。「ピアノ・エ・フォルテ」と名づけられた。その名前の通り「弱い音と強い音」。この幅広い音域を使って、モーツァルトやハイドンらが、数々の名曲を生み出していった。そんなピアノが日本にお目見えしたのは江戸時代の後半、ドイツ人医師であるフォン・シーボルトによって持ち込まれた。四角いテーブル型の小型ピアノで、当時の長州藩、今の山口県萩市に現存している。

「山葉氏が修理したオルガン」提供:ヤマハ株式会社

日本で本格的なピアノ作りをしたのは、山葉寅楠(やまは・とらくす)さんである。江戸時代末期の1851年(嘉永4年)に紀州藩(現・和歌山県)に生まれた山葉さんは、子どもの頃から機械いじりが大好きで、時計作りをしたり、医療機器会社で修理を担当したり、自らの技術を活かした仕事をしていたが、36歳の時に、転勤先の静岡県浜松市で小学校からオルガンの修理を頼まれた。このオルガンは米国製だったが、山葉さんはそれを見事に直す。その修理中に、オルガン内部の構造を模写して設計図を描いていた山葉さんは、それを基にして自分でオルガンの試作品まで作ってしまった。

「最古と見られるアップライトピアノ」提供:ヤマハ株式会社

オルガンによって楽器作りに魅了された山葉さんは、1897年(明治30年)に自らの会社「日本楽器製造株式会社」を設立し、今度は国産のピアノ作りに乗り出した。しかし、当時、ピアノの材料で、国内で手に入るものは外側の木工部分だけで、内部の材料や部品など多くは輸入に頼っていた。山葉さんは、技術の勉強と部品買い付けのために米国にも渡った。ピアノにとって最も大切なのは、鍵盤を押すとハンマーが弦を打つ「アクション」と呼ばれる仕組みだった。打つ強さと弦の種類によって、ピアノからは多彩な音が生まれる。山葉さんは、オルガン作りで学んだ内部構造、そして苦労して得た調律の経験、この2つを合体させながらピアノ作りを進めた。会社を設立して3年目の1900年(明治33年)、本格的な国産ピアノ、アップライト型のピアノが完成した。この山葉さんの会社「日本楽器製造株式会社」こそが、現在の「ヤマハ株式会社」である。

「昭和4年ごろのピアノ工場」提供:ヤマハ株式会社

山葉さんは本格的なピアノ生産を視野に、早くから楽器作りに“分業制”を採り入れ、その下には次々と職人が集まってきていた。そんな中に、地元の浜松で生まれて、わずか11歳にして山葉さんに弟子入りしていた少年がいた。この少年は手先が器用な上、その“音感”が優れていたため、山葉さんは才能を高く評価して、ピアノの命とも言える「アクション」部分の開発を任せていた。少年はその期待に応えて、最初のアップライトピアノ作りに貢献すると共に、その2年後の1902年に国産のグランドピアノを作り上げた。少年の名前は河合小市(かわい・こいち)。河合少年は後に、山葉さんの下から独立して会社を立ち上げた。現在の「河合楽器製作所」である。

「社章」提供:ヤマハ株式会社

ヤマハ株式会社の社章は、楽器の調律に使う「音叉(おんさ)」を3本組み合わせたものである。オルガンそしてピアノと、山葉さんが楽器作りに打ち込んだ日々、片時も離さなかったであろう大切な“相棒”である。ヤマハは、1965年(昭和40年)に、ピアノの生産台数が世界1位になった。今も世界トップクラスを走る。ヤマハと河合楽器にけん引されて、日本は世界最大のピアノ生産国の地位を築いたのだった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「音叉」

繊細な職人技と開発魂によって、YAMAHAそしてKAWAIは世界のトップブランドに成長した。「ピアノはじめて物語」のページでは、日本の文化の歩み、その確かな1ページが鍵盤の響きによって、軽やかに奏でられている。

【東西南北論説風(325)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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