さらばポケベル「いつでもどこでも呼び出す」時代の先駆ランナーに惜別の言葉
腰に付けた黒い皮ケースの中から「ピーピー」と音が鳴る。何度鳴っても慣れなかった。今でも鮮明に覚えている。そんなポケットベル、通称「ポケベル」が半世紀余りの歴史に終止符を打つことになった。
画期的な連絡手段だった
ポケベルが登場したのは、大阪で日本万国博覧会(万博)が開催された少し前、1968年(昭和43年)だった。
登録された番号に電話すると機器から呼び出し音が鳴る。ポケベルの持ち主はあらかじめ決まっている相手先に電話するシステムだった。
父が寝具店を経営していて布団などの配達もしていたこともあって、我が家では早い段階でポケベルを利用していた。店の人や母らが電話すると、折り返し出先の父が公衆電話などを使って連絡してきた。時に私も呼び出し電話をした。「ただ今呼び出しております」とアナウンスが流れた記憶がある。近所の電気店の若い店主も腰にポケベルを付けて、電化製品の配達や取り付け工事をしていた。連絡手段として当時は画期的だった。
容赦なき呼び出し音
実際に我が身が付けることになったのは、今の仕事に就いた1980年代後半だった。
初めて腰に付けた最初の頃は、自分が組織にとって必要な人間になったのだと嬉しかったが、それもつかの間。上司からの呼び出しは容赦なかった。
休日に映画館に入った時はマナーモードにしていたが、切り替えを忘れた他の誰かのポケベルが鳴ることもあった。自分のものではないと知りながらも現実に引き戻されて、その瞬間から5分ほどはスクリーンの世界に入って行けなかった苦い思い出もある。
その頃になると、何種類かの音色の違いで、どこから呼び出されているかが分かるようになった。
女子高生がブーム火付け役
ディスプレイ端末が登場して文字や数字が表示できるようになったことが、ポケベルにとっての大きな節目となった。
「0840(おはよう)」「14106(愛してる)」など誰が思いついたか数字のメッセージが人気となり、やがて絵文字まで登場した。楽しそうにポケベルの会話を楽しんでいたのは、女子を中心にした高校生たち。
同じように最新のディスプレイ端末を与えられたが、表示されるのは職場の直通電話番号が中心。「9999」と「9」が4つ並ぶのは「4×9(至急)」という取り決めがあり、これが表示されたら有無を言わずに職場に駆けつけた。楽しい絵文字など一度も画面に浮かび上がってこなかった。
そして携帯電話が登場
携帯電話が小型化されて一般に普及、今や3人に2人以上がスマホを持っている時代の中、ポケベルという存在を実はすっかり忘れていた。今回、2019年9月末のサービス終了発表によって、現在でも1500人ほどがポケベルを利用していたことにあらためて驚かされた。
ポケベルが登場した時は「出先でもすぐに連絡がつく」という便利さが重宝した。
携帯電話が登場した時は「すぐに会話ができる」というさらなる便利さに感動した。
スマホの機能については言うに及ばず、である。
ポケベルの退場は、実は一般の生活に入り込んだ通信機器の歴史でもある。そしてそれは、いつでもどこでも「糸の切れた凧」のように彷徨うことが許されなくなった時代の断章でもある。
誕生から半世紀。サービスが終了する最後の瞬間に液晶画面に「8181(バイバイ)」または「999(サンキュー)」という文字が浮かび上がるのだろうか。ふとそんな郷愁を運んでくるポケベルとの別れの報である。