なぜ歪な形に?闇市から栄えた岐阜の「繊維問屋街」 ジグザグ道に隠された秘密とは
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ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニア歴27年の鹿取茂雄さんが、岐阜市の繊維問屋街を探索します。
今の姿が見られなくなる!?再開発工事が迫る繊維問屋街
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鹿取さんと一緒に旅をするのは、写真家・河合莉子さん。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「岐阜市の発展を支えてきた岐阜駅前の繊維問屋街を、道から歴史の紐を解きたい」
繊維問屋街の発祥は昭和20年。焼け野原となった戦後の国鉄岐阜駅前に、北満州から引き揚げてきた人々が古着や軍服を集めて闇市で売り始めたことが起源と言われています。「もともとの闇市は、岐阜駅前の織田信長の銅像が立っている場所あたり」と鹿取さん。
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昭和30年代にはアパレルの一大産地となり、区画整理によって駅前の土地を覆い尽くすほどの店舗が並びました。そして昭和40年には、衣料の総売上が1000億円を超えるなど、日本有数のアパレルの街として名を馳せます。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「戦後、繊維問屋街は闇市から始まり、東京・大阪に並んで日本三大アパレル産地に成長した。しかし、繊維産業が衰退して今はシャッター街になっている。再開発が進んでいるので、今ある光景がいずれ見られなくなる」
最盛期には1800軒もの問屋が軒を連ねていましたが、現在そのほとんどは閉店しているそう。
2025年4月から始まる再開発工事で取り壊しが進むため、「岐阜の失われゆく景色を今のうちに目に焼き付けたい」と鹿取さんは言います。さらに、繊維問屋街の道を巡りながら、知られざる歴史に迫ります。
中問屋町のジグザグ道に隠された歴史
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2人はまず、鹿取さんが最も見てほしいという「中問屋町」の2丁目へ。ほぼシャッター街と化した道を歩いていると、「ちょっと複雑な造りをしていますよね」と立ち止まる鹿取さん。道幅が急に狭くなり、直角に曲がる場所に行き着きます。道なりに進んで角を曲がってみると、その先には何もなく行き止まりに。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「この先に一丁目があった時も行き止まりだった。昔から通り抜けはできない場所」
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不思議な構造をした道に、思いを馳せながら探索を続けます。そして、繊維問屋街のほとんどの道は碁盤目状に直線に造られているのに対し、少し歪な形をした南北にのびる道が出現。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「この道は、当初道を造る予定がなかった。みんなが自分の土地を削って少しずつ供出し合って造った道なので、ジグザグしている」
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区画整理された時にはこの道はありませんでしたが、お店の人たちが協力し、それぞれの土地を提供してできた道だったため、直線ではなく歪な形をしているとのことです。
闇市から始まった「ハルピン街」
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続いて2人は、鹿取さんが繊維問屋街の歴史を知る上でどうしても見てほしいものがあるという場所へ。行ってみると、お店の看板には「ハルピン」の文字が書かれています。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「満州から引き揚げてきた人達の闇市が発祥だったことから、ここは『ハルピン街』と呼ばれていた。『ハルピン』は、満州にあった都市の名前。今でもその名残はある」
さらに、鹿取さんは当時の背景にも触れます。
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(道マニア・鹿取茂雄さん)
「今の時代、闇市だったという歴史を封印したがる風習がある。しかし、当時は闇市でもなんでもやらないと生きていけなかった。そうした人達の生活を再建するためには、当時の時代背景をしっかりと理解するべき。その時の色んな想いがこの『ハルピン』に詰まっている」
昭和25年、岐阜駅周辺の整備に伴ってハルピン街は解体され、一時期西側の土地に移転していました。そこには当時の名残がまだあり、『大ハルピン住宅』と呼ばれているそう。繊維の商売をされる方も多かったと言います。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年2月4日(火)午後11時56分放送より
番組紹介
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