先人が山を切り開いた歴史ある道 今も生活道路として使われている鎌倉の「高野の切通し」
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、神奈川県にある“鎌倉の歴史に繋がる道”を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)
先人が山を切り開いて造った「高野の切通し」
海と山に囲まれ、かつては天然の要塞と言われた鎌倉。「敵が攻めにくい代わりに、人や物が行き来するのが不便だったが、山を切り開いて通した道“切通し”や“隧道"”を造って工夫していた」と道マニアは言います。
鎌倉には、今も生活道路として使われる“切通し”や“隧道”が数多く存在。鎌倉市内の高野公園付近に残る「高野(たかの)の切通し」もそのうちのひとつです。
鎌倉と周辺地域を結ぶ当時の主要道路「鎌倉七口(ななくち)」には含まれていませんが、まるで現代からタイムスリップしたかのように、住宅街の舗装された道から高い土壁に挟まれた古道へと変わります。
記録が残っておらずいつ造られたのか詳細は分からないとのことですが、昔の趣を残したまま今も生活の道として使われています。
北鎌倉駅近くにある、赤い門が付いた不思議な隧道
北鎌倉駅から線路に沿って北上すると、赤い門が付いた不思議な隧道が現れます。門には「好々洞」や「料理」の文字が書かれており、まるで中華料理店のような門構え。
隧道の中に入ってみると、壁面にはゴツゴツとした手掘りの跡がぎっしり。途中の壁面にはコンクリートブロックで塞がれた跡が2つあり、隙間から中を覗くとどちらも奥に空間が見られます。
近くに住む方の話によると、この地域にかつて広大な敷地と別荘を持っていた所有者が昭和12年に手掘りで隧道を造ったとのこと。
その後、昭和24年に別荘を料亭「好々亭(こうこうてい)」に造り替えて開業する際、奥にお店があることを知らせるために中国風のデザインの門を付けて目立たせたと言います。
また、隧道内の塞がれた2か所の穴は、戦時中に防空壕として使うために掘られ、その先には高いところを狙うための高射砲が置かれていたそう。
かつて賑わいを見せた「好々亭」は、平成19年に惜しまれつつ閉業。建物は無くなり、跡地には藪が生い茂っていますが、隧道は公道として残され、地元民が北鎌倉駅に行くための便利な道として使われています。
7月23日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より