まるで神殿!?100年前の鉄道橋脚も 愛知「豊橋鉄道田口線」の廃線跡を巡る旅!
ミキの昴生と亜生の2人がMCを務めるバラエティ番組『道との遭遇』。全国の道に特化したVTRをミキが様々な視点で楽しんでいきます。今回は全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニア歴25年の鹿取茂雄さんと、愛知県にある“廃線跡”を巡ります。
今も残る100年前の橋脚が見所!田口線の廃線跡へ
鹿取さんと一緒に旅をするのは、プロギャルのぱにぱにぱにぱにともちんぱさん。2人が訪れたのは、愛知県新城市。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「愛知県に来たら、田口線の廃線跡を見てほしい」
昭和4年から43年まで、愛知県の東奥三河を走っていた「豊橋鉄道田口線」。新城市の本長篠駅(起点)から設楽町の三河田口駅(終点)までの22.6kmを結んでいた鉄道で、かつては人と木材を運んでいました。現在はその廃線跡の一部が道路として生まれ変わっているそう。
2人は本長篠駅だった場所から廃線跡を巡ります。最初に見えてきたのは、鉄道が走っていた幅の狭いトンネル。そのトンネルの先には、田口線の鉄道が通る橋を支えていた約100年前の橋脚が今も残っています。県道沿いから廃線跡の名残が見られる、鹿取さんイチオシのスポットです。
山奥に眠る“廃駅”のホームと鉄道トンネル
続いては、かつての駅前通りを通って“廃駅”へ向かいます。今は山道のような駅前通り。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「当時、駅を利用する人はこの道を使っていた」
山の中を歩くこと15分。到着したのは「三河大草駅」の跡地。森林鉄道でもあったため、伐採した木材を運搬しやすいよう山奥に駅を作ったのだとか。廃線跡の先には、当時使われていた鉄道のトンネルも残っています。
洞窟のような掘りっぱなしのトンネル内には、電気を絶縁し電線を支えるための「碍子(がいし)」も見られます。
田口線のルーツが詰まった歴史あるお店
続いては、田口線の廃線跡を巡る時に鹿取さんが絶対に立ち寄っておきたいという場所へ。県道32号を走ること10分。到着したのは「おかめ茶屋」。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「ここに駅があった時からずっと営業されている」
1930年(昭和5年)、田口線の開通とほぼ同時期にお店を開業。目の前には「鳳来寺駅」があり、毎日多くの人が乗り降りしていたそう。しかし車社会の発達と街の過疎化により、徐々に利用者は減少。1968年(昭和43年)に廃線となりました。
しかし、駅がなくなった今でもおかめ茶屋の店主・上嶋幸代さん(93歳)がお店を切り盛りし、お客さんの憩いの場として愛されています。
トンネルの外側が見られる!?廃線跡が残る隧道
最後は鹿取さんイチオシの廃線跡へ。終点「三河田口駅」跡の手前にある隧道を目指します。設楽町を走る国道257号線の「清嶺トンネル」。すぐ脇の分岐している町道の先には、今にも埋もれそうな田口線の隧道が残っています。
湧き水で水没する隧道内を、2人は胴長を着用して探索(※許可を得て中に入っています)。辿り着いたのは、清嶺トンネルの外側の壁面がむき出しになった場所。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「壁のすぐ隣が国道の清嶺トンネル。山の中を走っているトンネルの外側を見ている」
田口線が廃線になった後、この隧道の先を塞ぐように造られた清嶺トンネル。本来は山に埋もれて見ることができないトンネルの外壁を、この隧道からは見られるという非常に珍しいスポットなのだそう。隧道の突き当りまで冒険したところで、廃線跡巡りは終了です。
住民に聞き込みをする際、怪しまれないようにスーツを着用している鹿取さん。他にも、廃線跡の探索時に、駅のホームで待つ当時のサラリーマンの気持ちを味わいたいという思いがあることも判明。スーツ着用の理由に「すごいな!なるほどな!」とミキの2人も感心するのでした。
4月18日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より