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織田信長による京都馬揃え、その真の目的は?

織田信長による京都馬揃え、その真の目的は?

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)。日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。2月28日の放送では、織田信長・前田利家・陣笠隊の足軽・太助の3名が出演し、信長が行った馬揃えについて取り上げました。

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都で馬揃えが行われた日

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある中、話題は1581年2月28日に京都の御所東門外で行われた「馬揃え」について。

織田信長「儂が都、しかも御所で天皇様もいらっしゃる場所で約700騎を引き連れて、いわゆるパレードをやったということじゃ」

馬揃えは、現代風に言うと大規模な観兵式・軍事パレードです。
朝廷のお墨付きであり、いわゆるこの時点で最も強い軍(戦国大名)、天下取りをするのは信長であるという喧伝の場でもありました。都でこのような催しを行えば地方へと噂が広がるため、大いなるアピールの場として利用したのです。

太助「どなたにお見せするための催しだったのでござりますか?」

当時の帝である正親町天皇をはじめ、公家を招待。もちろん京の民も多く駆けつけて、近衛前久ら馬術に通じた公家は馬揃えの参加も許されました。
信長曰く、座敷は金銀できらびやかに飾り、正親町天皇自身も晴れ姿でお出ましになるという、なんとも華やかなものだったとのこと。

家臣もきらびやかに着飾る

当日、信長の衣装は金と赤という何とも派手なものでした。
「大黒」と名付けた馬に乗り、颯爽と登場したと言われています。衣装に使われた布は本来天皇しか使えないものを使用。中国の帝王のようないでたちだったとも伝わります。

信長「要は仮装じゃな。仮装して参加したんじゃ。前田又左衛門(前田利家)も参加しておったんじゃったな」

前田利家「現世風に言うと優勝パレードと言えるかもしれませんな。この前年、信長様を苦しませておった本願寺が降伏いたして、ついに信長様の天下取りが盤石になったと知らしめるようなものでござった」

主君である信長に恥をかかさぬよう、家臣たちもきらびやかに着飾っただけでなく名馬を伴い趣向を凝らして参加。
他に丹羽長秀・柴田勝家・明智光秀といった重臣も信長の威信を高めるべく、万全の態勢だったと言い伝えられています。

乱世の終わりのはずが

この馬揃えは、朝廷(天皇や公家)に見せるという意味以外にも、別の目的がありました。

利家「応仁の乱以来、京の都は日本で一番荒れて不毛の地となっておった。ここに豪華絢爛な装いをした織田軍が再建された京の都を、我らがゆるりと練り歩く。これは『戦の世が終わった』と民衆に知らしめるという意味があったんじゃ」

信長「我らのお陰で、天皇様がおられた御所もかなり整備されて綺麗になった。その状況で馬揃えをご覧になったんじゃ」

この戦国時代は、応仁の乱で荒廃した時代から一気に立て直され、安土桃山時代へと華やかな文化が花開く時期へ移り変わった期間でもあり、狩野永徳や長谷川等伯などのきらびやかな襖絵や屏風が生まれました。

このまま信長が天下を掌中に収めるかと思われたものの、この翌年に信長を襲ったのが本能寺の変。

後に天下を取った豊臣秀吉が、花見や茶会など派手な催しを行ったのもひょっとしたら信長の馬揃えを踏襲したのかもしれません。
なお、毛利氏と戦っている最中で馬揃えに参加できなかった秀吉は非常に悔しがったとも伝わっています。
(葉月智世)
 

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