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広島市民球場のビジターサロンは会議テーブルと同じ大きさ!? 爆笑思い出の野球場・前編

広島市民球場のビジターサロンは会議テーブルと同じ大きさ!? 爆笑思い出の野球場・前編
CBCテレビ野球中継「燃えよドラゴンズ」(C)燃えドラch

CBCテレビ野球中継「燃えよドラゴンズ」燃えドラch
川上・井端のすべらない話シリーズ 思い出の球場編

ドラゴンズ黄金時代を支えた投打の両輪でもあり、97年ドラフト同期でもある川上憲伸、井端弘和が、グラブからマイクに代え、イバケンコンビを結成!燃えドラchというフィールドで球界裏話や同僚、ライバル話を大放出!

川上・井端のすべらない話シリーズ、今回は現役時代プレーした思い出の球場を語る。好きな球場、そしてもう二度とプレーしたくない球場まで、今回も期待に違わぬ大爆笑モノ!

目一杯なプレーができる土の球場

CBCテレビ野球中継「燃えよドラゴンズ」(C)燃えドラch

前回は先輩の岩瀬仁紀さんを愛のあるディスりで、笑いを巻き起こしたイバケンコンビ!
今回はすべらない話だけでなく、“ありえない話”が連発したようで…。

川上『好きな球場ってどこよ?』

井端『守る立場から言えば、人工芝より土の球場の方が好きだったよね。甲子園とか広島市民とか』

イレギュラーバウンドがない人工芝の方が守りやすいように思いがちだが、井端さんの現役当時の人工芝は東京ドーム等で導入されている、チップが入ったハイブリッド型ではなかったため、タイビングキャッチした時の痛さときたら相当なモノだったという。

川上『ナゴヤドームは特につまるというか、引っかかるもんなぁ』

井端『守るうえでは目一杯いけないし。ケガの怖さがないのが大きかったかな。打つのはまた別だったけどね。打ちやすかったのは東京ドーム。神宮と横浜は不思議なもので、片方が良くても、片方が悪いというか。年によって変わるの。両方良いってことはあまりなかったね。』

ここで川上さんから笑いの花火が上がる。

川上『神宮って、ライナーがそのままスタンドに入ったよな!そんなイメージがあるんだけど』

井端『神宮って(ホームから外野に向かって)下がって見えるでしょ。すごいフェンスが近くに感じて見えたね』

川上『結構ショートライナーをジャンプして捕れずに、そのままスタンドに入った!そんな感じでしょ?(笑)』

井端『それサードでしょ!(笑)』

川上『広島市民は確実にそうだった。レオ・ゴメスがジャンプして止めかけたら、そのままスタンドインしたっけ。町田さんだったかな。打たれた記憶があるもん!』

ひと昔前の球場は両翼が狭く、そしてフェンスも低かったため、容易にスタンドインが可能だったわけだ。

メシがバツグン!東京ドーム

次は川上さんの番。
プレー以外の話でまたひと笑いぶちかます!

川上『オレの好きな球場はねぇ…投げる投げないは別にして、東京ドームは好きだったかな。投げない時は特に(笑)』

川上さんにとって東京ドームはノーヒットノーランを記録した思い出の球場だ。

井端『投げた時も良いピッチングしてたじゃん』

川上『それは別で』

別かよ!

現役時代、先発として活躍した川上さん。登板しない日の先発ピッチャー、練習が終わり、18時のプレーボールの声がかかれば、タクシーに乗って宿舎に帰る特権がある。それを楽しみに、そして井端さんはうらやましく感じたそうだ。

川上『東京ドームは食べ物も美味しかったし、いっぱい種類があったよね』

井端『オレはね、ビジターで試合に出る時はバナナ一本ぐらいしか食べなかったの。みんなラーメンとかカレーとか食べていて、いいなぁと思ってたもんだよ』

川上『食のことでいえば、東京ドームでは逆のパターンがあって…』

なんと!そこで前回ディスられ役を演じた鉄腕・岩瀬仁紀さんが再び登場!

川上『岩瀬さんってさ、食堂で食べればいいのに、わざわざロッカーに持ってくるのよ。こっちはブルペンでひと投げして、汗ふいて、“さあ!そろそろ行かなあかん!”と思っている時に、横でラーメンすすりよんのよ』

井端『わかる!味噌とんこつのイメージ!(笑)』

岩瀬さんの性格上、申し訳なさそうには食べていたそうだ。しかし目線と合わせる度ににやけた顔で“がんばってね”とエールを送る、その態度にイライラ度は高まっていった川上さん。

川上『先輩じゃなかったら、コツンしとったわ(笑)』

地獄のサロン!広島市民球場

CBCテレビ野球中継「燃えよドラゴンズ」(C)燃えドラch

そして話は酷かった思い出の球場へ。
ふたりの中のダントツは当時広島カープの本拠地だった広島市民球場だったようで。

川上『広島市民は酷かったね!』

井端『ロッカーでしょ?』

川上『サロンが地獄だったもんね!』

地獄とは相当な言い分だ。

井端『そう!ロッカーの中にサロンがあって、うどんとか作るのに火を使っているでしょ。ただでさえ暑いのに、さらに暑くなるという!』

家に例えれば、リビングルームの中にクローゼットがあって、台所もある…それってワンルームマンションの間取りじゃないか!

川上『(会議室用テーブルを指さし、)なんならサロンの広さもテーブルぐらいの大きさぐらいだったよね!この中に50人ぐらい入っているような感じで!』

ハイ!得意のディスり、入りましたぁ!

井端『それは言い過ぎだろ!(笑)だけど、まあ狭かったよね』

川上『先発ピッチャーはそこでマッサージもするわけで。着替えている人や、ごはんを食べている人、雑多の中でね。すべての人の視線を感じるわけよ。だからゆっくりとマッサージもできやしなかったんよ』

広島市民球場版すべらない話

地獄とさえ表現された広島市民ビジター側のサロン。その環境を少しでも緩和するため、粋なことをした?いや、ウケを狙った選手がいたとか。

井端『そう!思い出した!あまりの狭さと暑さに、他チームが扇風機を贈呈してあったよね。自らマジックで書いたのか、“石井和久・高津臣吾”って書いてあった覚えがあるなぁ』

まだまだ広島市民思い出話が尽きない二人。

暑くてたまらない食堂。そこに仁王立ちする監督並びに首脳陣。そんな中、氷水につけられた紙パックの清涼飲料水は選手たちにとってまさに“命の水”だった。

当時在籍していた鳥越裕介(千葉ロッテマリーンズコーチ)、大西崇之(野球解説者)ら先輩からパシリのごとく、川上さんはジュースをサロンまで取りに行かされたそうだ。

川上『鳥越さんは甘いコーヒーが大好きで。大西さんもあの調子で“オー!ワレー!ケン、オレも2つぐらいくれやぁー”ってね。で、取りに行くわけ。そしたら星野監督の目線を感じるのよ。そんな中で注文されたコーヒーを取っていけば、“何をお前、そんな甘いものばかり飲みやがって!”と、怒られるのは目に見えているじゃない。先輩に頼まれたなんて口が裂けても言えないしね』

今回もひと通りディスりながらも、苦労話を笑い話に変えてくれるイバケンコンビ。

川上『とにかく広島で試合する時は身体にまったく栄養が入ってなかったね(笑)。今の広島の球場が良いだけに、今の選手もあの当時の広島市民で苦労して欲しいね(笑)』

井端『今はそんな球場もないよね』

川上『うん、今はないでしょ!』

きつい、汚い、気持ち悪いの3K。
1990年代に入るまで、プロ野球使用球場の大半は、居心地の良い環境からかけ離れていた。
それはナゴヤドームへ移る前のナゴヤ球場も同じ。
それは決してほめられた球場ではなかった。
よく考えれば、二人が入った時にはもうナゴヤドームへ移っていたわけか。
快適ドームで良かったね!イバケンさん!

<後編へ続く>

(竹内茂喜)

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