血行障害から復活したドラゴンズ岡田を支えたものは?スワローズベテラン右腕の言葉と小さな手
「来年はもう10年目。娘も小学校に入学します」
智弁和歌山高校からドラフト1位で中日に入団した岡田俊哉も12月5日で27歳になる。しかし、時々見せる柔和な笑顔にはルーキーイヤーと変わらないあどけなさが残る。
「よく言われます。まだ年齢は21歳くらいで止まっていると」
去年は侍ジャパンの一員としてWBCで戦った。しかし、その頃から左手に異変があった。血行障害だ。
「とにかく指先が冷たい。カイロで必死に温めても駄目。感覚がほとんどありませんでした。また、物に触れると激痛が走る。色々と私生活でも困りました。車を運転中、カーナビのタッチパネルに触るのが痛くて辛かったです」
当然、投球も思うようにいかない。結局、去年は9試合の登板にとどまり、6月には手術に踏み切った。
「心の支えになったのはスワローズの館山(昌平)さんです」
岡田は知り合いを通じて東京ヤクルトスワローズの館山と連絡を取り、悩みを打ち明けた。同じ苦しみを味わう後輩にベテラン右腕は惜しげもなく助言を送った。
「常に左右差を意識する。ストレッチ、ウォーミングアップ前にジョギングをする。湯船でぬるま湯に遣ったまま、濡れタオルで腕全体を振る。とにかく具体的なアドバイスをたくさん頂きました」
今年、館山は5試合に登板。0勝4敗。復活勝利は挙げられなかったが、その勇姿は岡田の背中を押した。
「館山さんは指先だけでなく上腕二頭筋にも三頭筋にもメスを入れ、靭帯も断裂。9回も手術をしています。でも、LINEに『最後は自分のパフォーマンスにかけてみたい』と書いてありました。本当に強い方。館山さんの投げる姿が一番の力になりました」
パパの手、冷たくてごめんね
岡田は5月15日に1軍登録。左手には生々しい傷跡が7箇所もあるが、岡田は腕を振り続けた。結局、27試合1勝0敗。確かな手応えを掴んでシーズンを終えた。
「終盤には力強いストレートが戻ってきました。完治とは言えませんが、今は指先を気にすることなく投げられています。この前、(鈴木)翔太も血行障害で手術をしました。春先から相談を受けていましたし、しっかり治して欲しいと思います」
今度は勇気を与える立場だ。
「嬉しいのは遠慮なく娘と手を繋げることなんです。去年は『パパの手、冷たくてごめんね』と言っていましたから」
その度、娘はパパの手を握り返していたという。懸命に温めていたのだ。
「岩瀬さんも引退されました。来年は左の中継ぎの座を狙わないと」
優しい笑顔は戦う男の顔になっていた。来年、桜が咲く頃、大きなランドセルを背負う娘に格好いい姿を見せてくれ。