裏方さんへの感謝。ドラゴンズ岡田俊哉が語る「偶然」と「必然」
「ほんとに周りの皆さんに支えていただき、今があるんです。活躍できているのは、たまたま(偶然)ですけど」
いつもひょうひょうとした語り口で、ムリに飾ろうとしない自然体。ドラゴンズの新守護神、岡田俊哉投手は、チームの先輩後輩、ルーキー誰からも親しまれる男だ。
かつて2016年秋、WBC日本ラウンド。大ピンチを迎え全国のファンが固唾を呑む中、侍ジャパンのリリーバーとしてマウンドへ登板。併殺打で凌ぎ、アメリカラウンド行きの立役者となった。しかし翌年、大切な左腕は血行障害となり、チーム離脱どころか生命をかけた手術を受けることとなった。
あれから三年。今季の開幕は再延期となったが、そもそもオリンピックで開幕は春先予定だった中、指先の冷えが一番のネックである岡田投手があえて、異例の早い時期からブルペンに入った。そして沖縄キャンプでの投げ込み総数は、チーム最多クラス。リスクを冒しながらも、開幕から守護神の大役に照準を合わせてきた。
だからこそ、「ここまで順調です」とは、軽々しくは言えない。
自身が歩んできた「偶然」
「でもほんと、たまたま、ここまで来ることができただけなんです。ほんとに」
岡田投手は、自身の“たまたま伝説”をこう教えてくれた。
小学二年生の時、兄に誘われて入った和歌山の松原少年野球チーム。当時外野を守っていたが、仲間のピッチャーのアクシデントで、俊哉少年が“たまたま”マウンドへ上がることに。それが投手人生の始まりだ
松洋中学に進むと、日高マリナーズのエースとして完全試合を仕掛けた試合を“たまたま”智辯和歌山高の関係者が目撃。本人は、「同郷の同い年、筒香(現MLBレイズ所属)を観に来ていたお陰かも」と謙遜する。
3年後、その縁もあって入学した智辯和歌山高では、一年生からベンチ入り、チームを4度も甲子園に導き、名将高嶋仁監督をして「絶対的エース」と言わしめた。
「でも、甲子園で10失点くらいしちゃっても、仲間が打って勝ち上がれた試合もあってのことですし、高校ジャパンといっても、“たまたま”ですよ」
と本人は意に介さない。
自身で引き寄せた「必然」
「でも、ひとつ言えるのは、コツコツ努力していたら、見てくれている人は、必ずいるってことです」
岡田投手は、まだ見ぬ開幕までの調整が難しい昨今、チームの裏方さん、ブルペンキャッチャー陣からも絶大な信頼と期待を受けている。
「いい時とそうでない時の違いなど、ブルペンキャッチャーさんからの指摘が全て、というほどです。自分のフォームやボールを自分で知るには限界がありますからね」
「どの裏方さんも分かってくれているので、何気に構えてもらって、ボクは高低よりも、ミットの内外角のラインだけ守ることだけに集中できます」
岡田投手は続ける。
「さっきも前田アキさん(前田章宏元捕手)に、『ボール半分まだストライクだよ』って言っていただいて。その直後が試合だとしたら、実際のマウンドで、ああ、あそこまでさっきのボールを入れられる、ってなれますからね。今はそんな想定とか、一人じゃできないこと、お陰で出来てます」
尽きない謙遜と感謝の言葉。
岡田俊哉投手の“たまたま”伝説は、周りへの感謝とサポートによる“必然”なのかもしれない。新型コロナ対策で自主練習すらままならない中、自分の投球を受けてもらえる僅かな時間と空間の有り難みを噛みしめる。
まだ見えぬシーズン開幕を見据えて。
燃えよドラゴンズ!
【CBCアナウンサー 宮部和裕 CBCラジオ「ドラ魂キング」水曜(午後4時放送)他、ドラゴンズ戦・ボクシング・ゴルフなどテレビ・ラジオのスポーツ中継担当。生粋の元少年ドラゴンズ会員。山本昌ノーヒットノーランや岩瀬の最多記録の実況に巡り合う強運。早大アナウンス研究会仕込の体当たりで、6度目の優勝ビール掛け中継を願う。】