史上初のセットアッパーMVP、中日・浅尾拓也コーチが描く未来予想図
「タクは気を遣い過ぎる。でもそれがあるから、今があるんだよね。」
我が中日ドラゴンズが球団史上初のリーグ連覇を果たした頃、岩瀬仁紀投手が、浅尾拓也投手のことを語った言葉です。
12年間の現役を引退。12月12日のCBCラジオ『ドラ魂KING』に出演し、少しだけ現役時代を振り返ってくれたイケメンは、「自分の数字より、チームが勝てば、ほんとに嬉しい。連覇の年も、ゴールデングラブ賞をいただいたのは有り難いですけど、MVPは、やっぱり申し訳なくて。」
端正なマスクにその謙虚さでドラゴンズファンを魅了した浅尾投手。彼の引退試合、あの浅尾・岩瀬、感動のラストリレーから早や2ヵ月半。
浅尾投手は、二軍投手コーチとなり、指導者として第二の野球人生がスタートしています。なので、引退直後もあまり休めなかったそうです。まず、お世話になった方々への挨拶回りに時間を割きました。また、携帯電話を片時も手放すことはなかったそうです。
「実は、コーチ就任要請の連絡があるかもしれないと思いまして。その時を逃しては失礼なので。」
いやいや、ドラゴンズの宝を球団が放っておく訳がありません。どれだけ気遣いの男なんですか。
著書の活字と自身の経験を重ね合わせ
ただ、引退直後、短いオフの浅尾さんに、新たな趣味ができました。
読書です。
現役時代は、ロッカールームでの息抜きに、漫画のワンピースやドラゴンボールをチームメイトと回し読みしたイケメンが、今、手にするのはハードカバー。落合博満さんや野村克也さんら野球界の大先輩の著書を広げています。
「勉強しないと、コーチとして後輩に伝えられないですからね。特に落合さんの本は、現役監督だったあの時おっしゃっていたことは、こういう意味だったのかと分かります。」と、著書の活字と自身の経験を重ね合わせます。
開幕投手の大役での白星や2年連続最優秀中継ぎ賞のタイトルなど、無敵の浅尾をコールしたのは、いつも落合監督と森ヘッドのコンビでした。
辛かったスピード表示
ただ、その後の現役生活の後半は、右肩痛に、もがきました。
「長く感じる月日でした。野球すらできない時期は、気が滅入っていました」と。
浅尾投手の葛藤は、周囲の雑音との葛藤でもありました。
「どうやったら、スタイルチェンジできたと認めてもらえるのか。自分としては、とっくに変えているのに。もどかしい。パームボールで空振りを奪う投球に、もう変わっているのに。」
いや、本人ではなく周囲が、かつてのスピードを求め続ける思いが強かったからかもしれません。
「スピード表示のことを言われるのは、辛かったです。」
そのジレンマの連続から抜け出そうと必死でした。今季も二軍で結果を残し続けました。猛暑のナゴヤ球場で結果を出す方が、ある意味、難しいかもしれません。正直、舞台が異なれば、出るアドレナリンも違うでしょう。それでも浅尾投手は、若手より登板頻度こそ減ったものの、アピールを続けました。
しかし、一軍昇格は、ありませんでした。
「じゃあ、どうやったら上に呼ばれるのか。去年、辞めておけば良かったということなのか。でも、若い子は自分の背中を見ているはず。明るく過ごして知らせを待とう。」
その頃、森監督はこう語っていました。
「俺はタク(浅尾投手)の姿を見ている。報告も聞いている。ただ、ヤツのことを長いスパンで考えているから。」
世間はちょうどお盆休みの頃、遂に今季初の一軍昇格。浅尾投手本人は、
「次、ファームに落ちる時は、引退を申し出る時。」
この決意のもと、10試合に登板し、最後は9月29日の阪神戦、あの大歓声でのレジェンドリレーとなりました。
投手コーチとしての決意
これほどまでに浮き沈みが激しかった現役生活。だからこそ、指導者になった浅尾コーチには、持論があります。
「教えないこと。」
ファーム組織であっても、押しつけて教える必要はないと。プロ投手ひとりひとりの個性は違うので、良い所を一緒に探して、どうやったらその投手の調子が上がるのかだけを見守るという決意。
「だって、もともと凄い選手だからプロの世界に入ってきたのですから。それだけは違うんじゃないかという時に、本人が変えなきゃと実感したタイミングで、指摘してあげられるように。」
さあ、来年の読谷キャンプ、そして、ナゴヤ球場が楽しみです。気遣いの男が、気配りのコーチになる姿。
ドラゴンズ大好きになったのも、野球好きになったのも、きっかけは浅尾投手ですと断言する多くのファンが、その姿を見守ることでしょう。