世界初!液晶の「電卓」を作ったニッポン、こうして実現した夢の“電子そろばん”

世界初!液晶の「電卓」を作ったニッポン、こうして実現した夢の“電子そろばん”
「最新のカラーデザイン電卓EL-M336」提供:シャープ株式会社

昭和の時代、多くの小学生が通っていたのは“そろばん塾”だった。学校では算数の授業の中でも算盤(そろばん)が使われた。教室には玉をはじく「パチパチ」という音が響いていた。昭和40年代に入って、そんな算盤を使わなくても簡単に計算をしてくれる機械ができたというニュースが飛び込んできた。それが電子式の卓上計算機、いわゆる「電卓」だった。

世界で最初の「電卓」は、英国で生まれた。ベル・パンチ社というメーカーが、1961年(昭和36年)にロンドンで開催されたビジネスショーに出品した。計算は速く、それを見た人たちからは感嘆の声が上がったそうだが、重さは14キロもある大きな機器だった。

「早川徳次さんとトランジスタ電卓2号機CS-20A」 提供:シャープ株式会社

そんな「電卓」に注目して、日本で作ろうと挑戦を始めた会社があった。シャープペンシルという画期的な筆記具を生み出した早川徳次さんの「早川電機工業」だった。のちに「シャープ株式会社」となるこの会社は1924年(大正13年)に創業、電機メーカーとしてトランジスタラジオやテレビなどを開発していた。そんな1960年代に、若い技術者の間で「何か新しい商品を作らないか」という機運が盛り上がった。コンピューターの開発チームが、英国で生まれた「電卓」を知り、それを自分たちの手で作ることになった。日本にも計算機はあったが、スイッチをONとOFFに切り替える機械式で、音もうるさく計算も遅かった。そこで、コンピューターの技術を駆使して、静かで計算も速い「電子式の卓上計算機」すなわち「電卓」の開発をめざした。

「世界初のオールトランジスタ電卓」提供:シャープ株式会社

最初は、半導体のひとつであるゲルマニウムのトランジスタを使ったが、どうもしっくりこない。そこで得意分野であるラジオのトランジスタを「電卓」にも応用することにした。試みは成功し、このトランジスタによって、動きや品質は安定した。ラジオ作りで培った技術が、電卓作りでも役に立った。開発を始めて4年、1964年(昭和39年)に、オールトランジスタの「電卓」(CS-10A)が完成した。しかし、内部の部品の数は4000点もあり、重さは英国製のものを上回る25キロ。値段は53万円超で、当時は自動車1台が買えるほどの高級品だった。

「世界初のLSI電卓と基板」提供:シャープ株式会社

「八百屋さんが、そろばんの代わりに使える計算機を作ろう!」。そのためには「安くて、軽くて、小さい」そんな“電子そろばん”を作らなければならない。開発チームが目をつけたのは「IC(集積回路)」さらに「LSI(大規模集積回路)」だった。米国からの輸入ルートを開いて、1969年(昭和44年)に世界初のLSI電卓を発売した。ようやく、手のひらに乗せて使える大きさになった。しかし、これ以上、小型化するにも限界があった。「入力するための10キー」と「数値を表示するディスプレイ」この面積分だけはどうしても必要だった。

「液晶の開発風景」提供:シャープ株式会社

「小さくできなければ、薄くすればいい」。次に目をつけたもの、それが「液晶」だった。19世紀にオーストリアで発見された「液晶」は、電気的な刺激によって、画面の光に変化が起きる。ディスプレイの分野でも大きな進歩をもたらしていた。透明の膜やガラス板のシールも開発し、そこに液晶やLSIを組み合わせることによって、機器の本体は一気に薄くなった。

「世界初の液晶電卓EL-805」提供:シャープ株式会社

1973年(昭和48年)、世界初の液晶を使った「電卓」が完成した。液晶の消費電力はとても低く、単3電池1本で、100時間も使うことができた。薄さも2センチ、重さはわずか195グラムで、第1号機から実に130分の1の軽さになった。3年前の1970年に会社は「シャープ株式会社」と名前を変えていたが、まさに「液晶のシャープ」の本領発揮だった。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「カラフルな電卓」

液晶を使ったことによって「電卓」は一気に、小型化そして薄型化されていった。クレジットカードのサイズまで小さくなり、財布にも簡単に入るようになった。“八百屋さんが使える”レベルを一気に越えて、仕事場でも家庭でも「電卓」は身近な存在になった。現在では、スマートフォンの中にも組み込まれている。「安くて、軽くて、小さい」そんな“電子そろばん”作りの夢は現実になった。シャープの最新モデルは、キー表面に抗ウイルス加工を施し、2種類の税率も計算できるという、まさに“時代に合わせた”カラフルな電卓である。日本での「電卓」の歩みは続いている。

ラジオ作りの技術を使うことをきっかけに、「電卓」に小さくても性能が良い命を吹き込んだニッポン。「電卓はじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“誇らしげな液晶画面の中に”くっきりと映し出されている。

【東西南北論説風(391)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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