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「ホッチキス」を文房具として極めたニッポン企業の開発魂と驚きの新製品

「ホッチキス」を文房具として極めたニッポン企業の開発魂と驚きの新製品
「11号新世代ホッチキス」提供:マックス株式会社
「11号新世代ホッチキス」提供:マックス株式会社

今やどこのオフィスにも家庭にもある「ホッチキス」。一瞬で紙などを綴じる、この便利な道具は19世紀の米国生まれなのだが、それを今日のような手軽な文房具に育て上げたのは、ある日本企業の絶えまない開発の日々だった。

ホッチキスは米国など英語圏では「ステープラー(Stapler)」と呼ばれる。起源のエピソードの中、1826年に生まれたベンジャミン・ホッチキスさんが発明したという説に心をひかれる。機関銃を発明したホッチキスさんは、マシンガンの弾丸を送る仕組みをヒントに、紙を綴じる道具「ステープラー」を考えた。銃の“弾送り”とホッチキスの“針送り”、たしかに似ている。1903年(明治36年)に初めて日本に輸入された時に、商品のボディーには「HOTCHKISS」と、それを作った会社の名前が書かれていた。そのため、ステープラーは日本では「ホッチキス」と呼ばれるようになった。

「当時のアメリカ製ホッチキス(複製)」提供:マックス株式会社

当時は、現在の「ホッチキス」のように、ひとつひとつの針がくっついて装填される仕組みではなく、コの字型の1枚の鉄板を機械にセットして、上から細く切断しながら、すなわちその場で針を作りながら紙に打ち込んだ。そのため大きく重い機械だった。その米国製の道具に、大きな節目がやって来た。国産の「ホッチキス」作りに挑戦した会社が登場したのだった。1942年(昭和17年)に航空機の部品メーカーとして創業した山田興業(現マックス株式会社)である。

「3号ホッチキス(1946年製)」提供:マックス株式会社

数々の工夫がなされた。まずは針だった。紙に打ち込みやすくするために、引き延ばしたワイヤーをあらかじめ束にした上でベルト状に貼り合わせることによって、ひとつひとつの針の接着部分が分かれやすいようにした。さらに紙を通しやすいように先端を尖らせた。この針をバネによって前へ前へと送り出して先頭の針で紙を綴じる。こうして1946年に誕生した卓上使用の「3号ホッチキス」は、それまでキリで穴を開けて紐を通して結んでいた書類綴じに、革命をもたらした。卓上ホッチキスは、画期的な“事務用品”として国内のオフィスに広がっていった。

「10号ホッチキス」提供:マックス株式会社

卓上ホッチキス誕生から6年後の1952年に発売された「10号ホッチキス」は、机の上に置いて使うのではなく、片手で握って使用できるホッチキスだった。小学校へ無料で貸し出したり、商品のパッケージに使用してもらうようセールス活動したり、その企業努力が実りハンディタイプの「ホッチキス」は家庭にも広く普及していく。“事務用品”から“文房具”へと成長したのだった。握りの部分に窪みを入れて持ちやすくする工夫、そしてバネの部分に“てこの原理”を採用して子どもの軽い力でも簡単に使える改善、こうして米国産ステープラーは「ホッチキス」として、日本の地で画期的に生まれ変わった。

「紙針ホッチキス」提供:マックス株式会社

「紙針ホッチキス」が登場した時は驚きが広がった。金属の針の代わりに、紙の針が生まれたのだった。2013年(平成25年)のことである。実はホッチキスを敬遠し始めた業界があった。食品関係の会社である。弁当や卵のパックをホッチキスでとめていたが、安全への配慮から金属針の使用への躊躇が見られた。そこでマックス株式会社が開発したのが紙の針。これなら安全だった。「紙針ホッチキス」は、書類を廃棄する際にも分別する必要がなく、まさにオフィスにも革命をもたらした。日本の商品開発力が登りついた頂(いただき)と言えよう。

「紙針」提供:マックス株式会社

米国からやって来た紙を綴じる道具を「ホッチキス」として見事に進化させたニッポンの開発技術。「ホッチキスはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページがしっかりと綴じられている。

          
【東西南北論説風(291)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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