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ルーキー梅津晃大が開けた扉からよみがえるドラゴンズ伝説の投手たち

ルーキー梅津晃大が開けた扉からよみがえるドラゴンズ伝説の投手たち
論説室コラム

ルーキー梅津晃大が開けた扉からよみがえるドラゴンズ伝説の投手たち

 2019年8月30日(金) 10:10
北辻 利寿
北辻 利寿

「サンデードラゴンズ」より梅津晃大投手©CBCテレビ

記録は時として遠い過去に光を当てる。
そのことを強く意識したのは、2004年(平成16年)イチロー選手が、米メジャーのシーズン最多安打の新記録を達成した時だった。それまでの記録はジョージ・シスラー選手が1920年に作った257安打だった。イチロー選手は262安打で記録を一気に塗り替えたのだが、新記録達成の瞬間にシスラー選手の家族がシアトルの球場を訪れていた。娘さんが「イチローのおかげで父に再びスポットライトが当たった」とコメントしていたことが記憶に残っている。

梅津投手22歳の躍動

ナゴヤドーム当日のスコアボード(2019年8月22日撮影)©CBCテレビ

中日ドラゴンズの梅津晃大(こうだい)投手が、2019年8月22日の讀賣ジャイアンツ戦に先発して2勝目を挙げた。東洋大学からドラフト2位で入団したルーキー右腕22歳。プロ初登板初先発で初勝利を挙げたのが10日前であり、連勝となった。そして若々しいその快挙によって、83年を迎えたドラゴンズ球団史で同じ記録を持つ2人の投手にスポットライトが当たることになった。

戦火に散ったドラゴンズ名投手

村松幸雄投手。静岡県出身で1939年に掛川中学校からドラゴンズの前身である名古屋軍に入団の右腕。
開幕早々の同期入団に後に背番号「10」が永久欠番になった服部受弘(つぐひろ)さんがいて、もうひとりの永久欠番「15」の西沢道夫さんも投手として活躍していた時代。服部さんはその後に投手としても活躍、西沢さんは打者として、首位打者と打点王の2冠王に輝く。今でいう“二刀流”がドラゴンズでも豪快に闊歩していた。
球団史などの資料をひも解くと、村松投手はルーキー年の1939年3月にプロ初登板を完封勝利で飾ると、次のジャイアンツ戦にも勝ち「初登板初先発から連勝」となる。
そのシーズンは5勝を挙げ、2年目には21勝と大活躍。同じ年に西沢投手も20勝を挙げているので、この時のチームのすごさに今さらながら感服する。
しかし村松投手が竜のユニホームを着ての日々はわずか3年で終わった。戦火が広がる中、出征したグアム島で戦死。生涯の勝ち星は38勝だった。

衝撃のノーヒットノーランデビュー

「栄光のデビュー」近藤真一投手 記録ビデオ(販売終了品)©CBCテレビ

近藤真一投手。現在は「近藤真市」名でドラゴンズのスカウト、多くのドラゴンズファンがその伝説を知っている。愛知県出身で1986年のドラフト会議で5球団競合の末、ドラゴンズが獲得した左腕。
近藤投手の名が球団史に刻まれたのは、何と言ってもその鮮烈なデビューである。ルーキーイヤーの1987年8月9日ナゴヤ球場でのジャイアンツ戦。この年からチームを率いていた星野仙一新監督は、自らがドラフトでクジを引き当てた18歳の高卒ルーキーをいきなりプロ初登板で初先発させる。当時は今のような予告先発制度はないため、場内アナウンスと共にナゴヤ球場はどよめき、テレビとラジオの前のファンも真夏の暑さ以上に熱くなった。近藤投手は速球とカーブを駆使してジャイアンツ打線をねじ伏せて、ノーヒットノーランを達成してしまう。「高卒ルーキー」「プロ初登板初先発」「相手は巨人」「ノーヒットノーラン」・・・その夜から翌朝の朝刊にかけてあらゆる修飾語が飛び交った。正真正銘のヒーローの誕生だった。

初登板から3連勝の快挙

近藤投手の2戦目は1週間後の広島東洋カープ戦。ここでも勝利をおさめ「初登板初先発から連勝」となった。
近藤投手はさらに3試合目の阪神タイガース戦でも1安打完封で勝利し3連勝。ドラゴンズファンの興奮ぶりは、当時を体感していない人にも理解いただけるであろう。18歳11か月、史上最年少の月間MVP獲得も当然のことだった。
背番号「13」を「1」に替えた翌1988年は8勝、順調にエースへの道を上がっていくかに思われたが、左肩そして左ひじの故障によって、勝ち星はこの2年目が最後でやがて引退した。通算勝ち星はわずか12勝。しかし今もまばゆい光を放っている12勝である。

忘れえぬルーキー「連勝」投手

「サンデードラゴンズ」より梅津晃大投手プロ初勝利の様子©CBCテレビ

ドラゴンズでの「初登板初先発からの連勝」は、村松、近藤そして梅津、この3投手なのだが、もうひとり新人投手の「連勝」という意味で忘れられない投手がいる。
1990年(平成2年)のドラフト5位で入団した森田幸一投手である。ルーキーイヤーの翌1991年4月6日東京ドームの開幕ジャイアンツ戦にリリーフとしてプロ初登板し2回を0点に抑えて、6対5で初勝利を挙げた。先発ではないが「プロ初登板初勝利」である。私の当時の日記には、4点差をはね返して勝ったこのゲームについて「ルーキー森田初勝利。ラジオにかじりつくすごいゲーム!」と喜びが書き綴ってあった。

歌までできてしまった!

森田投手は4日後のカープ戦にもリリーフ登板し、自ら決勝ホームランを打ち、またも6対5で2勝目を挙げる。「初登板からの連勝」である。さらに新人投手の初打席初ホームランは1950年(昭和25年)に東急フライヤーズ塩瀬盛道投手が記録して以来史上2人目、41年ぶりの快挙だった。もっとも森田投手はこの連勝の間に1試合に登板していたため、登板連続勝利とならなかったが、見事な連勝デビューだった。
このシーズンは10勝3敗17セーブで新人王。さらにこの活躍を受けて『モリタはスゴイ!』という歌が登場した。同じ「森田」である作曲家の森田公一さんが曲を作り、俳優の森田健作さんとデュエットし話題になった。歌まで作られたドラゴンズ投手。これもまた球団史の1ページだろう。

中日・梅津晃大投手とダヤン・ビシエド選手(2019年8月22日撮影)©CBCテレビ

令和の夏に球団記録を達成した梅津投手は、32年ぶりに記録に並んだ相手である近藤投手について、「生まれる前のことだから」と話したという。その通りであろう。だからこそ価値がある。これからも豪快なそのピッチングで、次々と過去の伝説を新しい時代によみがえらせてほしい。それが「投手王国復活」しいては「昇竜復活」につながる道となる。

【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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