竜のドラフト10年史(1)~スラッガー高橋周平へ大いなる夢・2011年

竜のドラフト10年史(1)~スラッガー高橋周平へ大いなる夢・2011年

ドラフト会議には夢とドラマがある。1965年(昭和40年)に始まったプロ野球のドラフト会議は、2021年に57回目を迎える。球団創設85周年を迎えた中日ドラゴンズにも、ドラフトによって数多くの選手たちが入団し球団史のページを飾ってきた。2011年1位指名は高橋周平、そして2020年1位指名は高橋宏斗、奇しくも「高橋から高橋へ」となったドラゴンズ最近10年間のドラフト史をシリーズで探訪する。(敬称略)

3球団の競合に勝ったドラゴンズ

嬉しそうな笑顔だった。こぼれる白い歯が印象的だった。8年間チームを率いた落合博満監督に代わって、2度目の指揮を取ることになった高木守道監督である。東海大甲府高校の内野手・高橋周平の当たりくじを引き当てた瞬間、破顔一笑だった。高橋の1位指名には、ドラゴンズの他に東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファローズが名乗りを挙げた。甲子園出場の経験こそないものの、高校通算71本のホームランを放った左打ちのスラッガー。「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれた高木新監督の下、新たな体制でチームの躍進をめざすドラゴンズにとっては、何よりの“贈り物”となる1位指名選手の獲得となった。

高橋周平の歩みと覚醒

落合政権の下で日本一1回、リーグ優勝4回という華々しい黄金期を築いたドラゴンズにとって、世代交代は大きなテーマだった。そこに加わった高橋周平という新戦力。しかし、その後の歩みは順調とは言えなかった。
入団1年目、2軍のウエスタンリーグでは本塁打王になったものの、1軍での出場は41試合、11安打、ホームラン2本、打点3という成績だった。かつて星野仙一監督がドラフトで自ら引き当てた立浪和義をいきなりレギュラーで起用した記憶があったことから、高木監督も当然そうするかと期待もあったが、それはかなわなかった。高橋がレギュラーと呼ばれるまでには、それから7年の歳月が必要だった。

2011年ドラフト総括

この年のドラフト会議では3球団が競合した高橋周平の他、東海大学のエースであり、讀賣ジャイアンツ原辰徳監督の甥である菅野智之投手の動向が注目された。「巨人以外は入団拒否」という意向を示していた菅野投手だったが、北海道日本ハムファイターズが果敢に1位指名、見事抽選で交渉権を獲得した。菅野投手は初志貫徹で入団せず、翌年ジャイアンツに入団した。しかし、「その年で最も素晴らしい選手を指名する」というファイターズの揺るぎないドラフト戦略に、多くのプロ野球ファンは拍手を送ったのだった。

竜指名選手の現在地は?

「中日ドラゴンズ2011年ドラフト指名選手一覧表」©CBCテレビ

1位指名の高橋周平を含め、ドラゴンズは6人の選手を指名した。2人が現役で活躍中である。もうひとりは3位指名、地元・東海学園大学の田島慎二投手。ドラゴンズからの指名にとめどなく嬉し涙があふれた記者会見は、今もファンの記憶に残る清々しい場面である。
高橋は2019年シーズン、与田剛新監督からキャプテンに指名されて、打撃と共に守備も開花した。連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど、そのサード守備は球界でも屈指と言える。2021年シーズンは開幕当初から思うような活躍ができなかったが、攻撃面でも守備面でも、竜のリーダーとしての活躍へ期待は高い。

【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲  愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。

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