落合博満監督が中日ドラゴンズを率いた2004年(平成16年)からの8年間は、私たちドラゴンズファンにとって、かつて経験したことのない日々だった。「王者を応援した日々」と言っても過言ではない。子供の頃、読売ジャイアンツファンの友人に「ドベゴンズ、ドベゴンズ」とからかわれた頃からは考えられなかったことだ。そのV9時代の巨人ファン、または、常勝・広岡~森時代の西武ライオンズファン・・・そんな人たちの気持ちが理解できるほど、落合ドラゴンズは強かった。常勝球団となったドラゴンズ就任以来8年間の成績は、優勝(2004年)2位(2005年)優勝(2006年)2位(2007年)3位(2008年)2位(2009年)優勝(2010年)優勝(2011年)すべてAクラスである。長いドラゴンズの歴史の中で、これだけ長きにわたってAクラスを続けた時代はない。さらに、2007年(平成19年)はプレーオフで読売ジャイアンツに全勝して日本シリーズに進み、53年ぶりの日本一を達成。2010年と2011年は、球団初のセ・リーグ連覇である。私たちファンも「勝って当然」という空気に浸った。残すのは、リーグ優勝から日本一になる“完全優勝”だけだった。東日本大震災の年に監督交代この8年間には様々な出来事があった。スポーツ界では2004年にシアトル・マリナーズのイチロー選手が、メジャーのシーズン最多安打を更新した。また翌年のアテネ五輪をはじめ、アテネと北京の夏季、トリノとバンクーバーの冬季と数々のオリンピック大会があり、ヒーローやヒロインが誕生した。ドラゴンズの本拠地ということからすれば、2005年に愛知県で「愛・地球博」が開催され、沢山の人が訪れた。そして結果的に落合監督の最終年となった2011年は、3月11日に東日本大震災が発生し、大勢の犠牲者が出た。プロ野球も開幕が4月12日まで遅れ、また原子力発電所の停止による電力事情から、延長戦が12回で打ち切られるなど球界にも影響が出た。何よりも被災地はじめ日本全体を励ます役割が、プロ野球にも期待された。その年に連覇を果たし、落合監督はそのバトンを、高木守道監督に手渡した。高木ドラゴンズの苦闘落合監督がユニホームを脱いで、最初の年こそ2位に踏みとどまったが、その後、ドラゴンズは負け始めた。落合監督の8年間にドラゴンズを好きになったファンは、明らかに戸惑っていた。「勝って当然」と思っていたから。高木守道監督の2年目、2013年シーズンで4位になった時、その戸惑いはドームの入場者数の減少や中継視聴率の下降としてはっきりと表れた。「でも昔のドラゴンズはこうだったよね」・・・自嘲気味に笑う長年のファンの気持ち、私は痛いほど解る。でもドラゴンズはドラゴンズ。常勝であろうが、低迷しようが、応援し続けることが“ファンの道”だと思う。落合監督の洞察力「視る」落合采配の秘密、それは“見る”ことではなかったのだろうか。ちゃんと“見る”。あえて漢字を充てるならば、私は“視る”という字を選びたい。2010年4月27日ナゴヤドームでの出来事だ。ゲームが始まってしばらく後に、球審の様子がおかしいことに気づいた落合監督が「体調が悪いのなら無理をせずに休んだ方がいい」とゲーム中に審判交代を進言したのである。その指摘通り、球審は不調を押し隠してゲームに臨んでいた。落合監督の指摘を受けて、球審は交代した。選手の動きだけでなく、グランド全体を“視る”。落合監督のその洞察力にとても感激した。最後の落合采配の夜に・・・落合監督の退任と高木守道監督の再任が発表されたのは、2011年9月22日。就任の時も驚いたが、まだシーズン最中だっただけにこの時も監督交代に驚きだった。ドラゴンズがこの発表後に快進撃を続け、球団初のリーグ連覇を達成したことは周知の通りである。10月18日、ナゴヤドーム最終戦。ドラゴンズは前日に優勝を決めていた。この試合のチケットはシーズン予約席の対象カードではなかったので、パノラマ席も一般発売された。私は妻と2人で、6800円の内野席チケットを買い、ペナントレースでは地元で最後となる落合監督の姿を見るために球場へ出かけた。しばらくして、ドーム放送席の並びにある関係者ブースで観戦中の信子夫人の姿を見つけた。階段を上がりガラス越しにお辞儀をすると、すぐにわかって下さり、「入って、入って」と手招きして下さった。ブースで一緒にゲームを観戦した。信子さんは、ご主人が指揮を取ったこの8年間のことをいろいろ話してくれた。・・・落合博満という野球人に、監督という機会を与えてくれたドラゴンズ球団に心から感謝していること。昔からのチーム体質を変えることは並大抵のことではなかったこと。そして、一人息子の福嗣君が結婚して、落合家の家族が増えたこと。そんな観戦の最中でも、信子さんの意識の一部は目の前のグランドにあった。ドラゴンズがチャンスを迎えたり、得点したりするタイミングでは、すかさず応援グッズを手に取って、私たちの前で一生懸命声援を送っていた。ご主人である落合監督、そしてドラゴンズというチームのことを心から好きなのだ。ここにもひとり、熱心なドラゴンズファンがいた。ゲームは4対2でドラゴンズが相手のヤクルトスワローズに勝ち、リードの5回からリリーフに立った吉見一起投手は18勝目をあげ、2年連続の最多勝を決めた。タイトルは取れる時に絶対に取るべきだという、これも落合采配の鉄則のひとつだった。心から楽しい、そして思い出深い地元最終戦の観戦だった。そして、落合ドラゴンズは8年間の公式戦を締めくくった。(2004~2011年)【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。