真昼の決闘!ロッテとの日本シリーズに大興奮のドラゴンズファン(03)
ドラゴンズが20年ぶりに出場する日本シリーズが始まった。
名古屋での優勝パレードの余韻も覚めやらぬ中、舞台は本拠地・中日球場(現ナゴヤ球場)である。
当時、日本シリーズは、全試合デーゲームで行われた。相手はロッテオリオンズ。
愛知県出身の400勝投手・金田正一監督率いるパ・リーグの覇者だ。
興奮!職員室のテレビ観戦
中学3年生だった私たちは、正直言って、ほとんど授業どころではなかった。
15歳で初めて経験する地元球団が出場する日本シリーズ。地元の名古屋で開催される日本シリーズ。球場の歓声がかすかに聞こえてくるほどの近距離にある校舎で学ぶ我々中学生。興奮するなと言う方が無理だと言える。
しかし、この当時、教室にテレビはない。もちろんあったとしても、さすがに授業中に日本シリーズを観戦させてくれるほど理解がある先生もいなかった。授業の合い間の休み時間に向かう先は・・・学校で唯一テレビがある場所、それは職員室だった。
授業中は試合経過を知る術がない。放課(休み時間)を告げるチャイムが鳴ると共に、職員室へ向けて走る。友も走る。校舎は下駄箱が置かれた土間をはさんでつながっていたが、私の教室は2階、職員室は1階である。そして、職員室前の廊下に到着すると、すでに扉の前には山なりの人だかり。さすがに職員室は出入り自由とはいかないため、廊下からの観戦となる。扉だけだと覗き見する空間が足りないため、先生たちが廊下側の窓も開けてくださり、そこからも見ることができた。
勝負どころはモリミチ!
第1戦の先発は、シーズンに20勝を挙げた左腕・松本幸行投手。相変わらず試合のテンポが早い。いくらゲームが早く進むといっても、わずか10分間の休み時間では観戦する時間も限られている。チャイムの音と共に、私たちは教室へ戻り、6時限目の授業を受けた。
すべての授業が終われば、思う存分にテレビ観戦できる。大急ぎで家に帰ると、ドラゴンズはロッテにリードを許していた。
やはり20年ぶりの出場、シーズン激闘の疲れもあるのかと思った矢先の9回裏、竜のリードオフマン高木守道選手が、サヨナラ2ベースを打って、ドラゴンズは逆転勝ちをおさめたのだった。わずか3日前のペナントレース優勝の興奮が再び訪れたかのように、大騒ぎの中日球場、そして私。こんな試合を見せられると、明日からの授業は出席するべきかどうしようかと真剣に悩んだ。
授業中のシリーズ速報
第2戦に教室へ持ち込んだのが少し大きめのトランジスタラジオとイヤホンだった。
この時の私は、教室の正面に向かって一番右側の席。当時、教室の廊下側と後ろ側にも黒板があったが、その廊下側黒板のすぐ前の席だった。
一人だけ、授業中に日本シリーズの実況中継を聞く罪悪感を少しでも和らげるため、そして興奮を共有するため、こっそりと黒板にスコアを書いてクラスの友人にゲームの途中経過を知らせていた。
しかし、先生に見つかった・・・。「きょうは負けているのか」と一言あっただけだった。
中日球場には地元出身の姉妹歌手であるザ・ピーナッツの2人が観戦に訪れるなど、名古屋の街では竜の戦いが社会現象化していた。
無念!日本一の夢は破れた
日本シリーズは、後楽園球場での第4戦に、ドラゴンズファンにとって最悪の展開を迎える。当時のロッテは宮城県仙台市の宮城球場を本拠地としていたが、日本シリーズを開催するには施設が対応できなかったという理由で、パ・リーグのホームゲームとして後楽園球場での開催だった。
その東京での試合でも先頭打者ホームランを打つなど、チームのけん引役として大活躍だった高木守道選手が自打球を足に当てて、なんと左足首を骨折してしまったのである。全治3週間。当時の私の日記にも絶望感あふれる気持ちが綴られている。
シリーズはこのゲームを延長戦の末に落として2勝2敗のタイ。高木選手欠場の第5戦を落とし、2勝3敗と負け越しで名古屋へ戻って来た。
ドラゴンズにとって20年ぶりとなった日本シリーズは、第6戦にロッテ金田監督が中日球場で宙に舞い、幕を閉じた。しかし、その第6戦、高木選手は痛み止めの注射を打ち骨折の痛みをおしてゲームに出場したのだった。負けたチームの選手に送られる敢闘賞は当然、高木選手。シリーズ最優秀選手(MVP)のロッテ・弘田澄男選手以上に大きな拍手が送られたのは言うまでもない。
ドラゴンズにとって1954年(昭和29年)以来の日本一は夢と終わった。
この日本一を達成するまで、さらに長い年月が必要となるのだが、やがてその夢をドラゴンズが実現する時、この年に覇権を争ったロッテオリオンズとの因縁が、三冠王を3度獲得し「三冠男」と呼ばれる一人の打者によって再びよみがえることを、中学生の私は想像すらできなかったことは言うまでもない。(1974年)
※ドラゴンズファンの立場で半世紀の球団史を書いた本『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』(ゆいぽおと刊・2016年)を加筆修正して掲載いたします。